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伊川津貝塚 有髯土偶 85:瞑想の座法
愛知県新城市の能登瀬諏訪神社の最上地である本殿前まで登りました。
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本殿前から眼下に位置する拝殿の瓦葺屋根を見下ろすと、拝殿裏面の石段の麓にも御神事のためと思われる波トタン張屋根が取り付けられているのが見下ろせた。
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拝殿と本殿を結ぶ石段には石段脇からシダ類の浸食が見られるが、現役の石段のようだ。
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本殿覆屋の南側には石段とは別に弧を描きながら拝殿前に降る脇参道が延びていた。
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拝殿前に降り、拝殿前を戻って脇参道を西に降ると表参道に向かう途中から分岐した脇参道が明るい灰色の瓦葺切妻造平入の建物に向かって下っていた。
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脇参道を下っていくと、その麓に石で檀が設けられ、3体の石仏が奉られていた。
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中央の石造の屋根を持つ石柱に浮き彫りされているのは右膝を立てた(輪王座)六臂(ろっぴ:六本腕)の如意輪観音(にょいりんかんのん)像のはずだったが、この石仏は膝から手前が垂直にスライスしたようにカットされ、丸ごと残っている腕は六臂(ろっぴ:六本腕)の内の右手1本のみになっており、仏名となっている如意宝珠と輪法を持っているはずの腕は丸ごと消失していた。
その名称の「如意輪」とは密教において仏の象徴物となっている、以下の如意輪観音像のような如意宝珠と輪法(りんぽう)を指している。
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この典型的な如意輪観音像のような片膝で胡座(あぐら)をかき、もう一方の片膝を立てる座り方を輪王坐(りんのうざ)という。
この典型的な如意輪観音像の場合、3本の右手のうち1本は頬杖を付き、1本は如意宝珠を持っているが、もう1本は手持ちぶさたに遊ばせているように見えるが、私見では視覚を使った瞑想をした後の指付きを表現したものだと見ている。
これは国宝になっている中宮寺の弥勒菩薩像(上記写真左)も同様で、この像の場合の半跏趺坐(はんかふざ:片脚をもう一方の片脚のももの上に組んだ座り方)は瞑想を解いた直後の表現で、典型的な如意輪観音像の場合は時間的に中宮寺 弥勒菩薩像のすぐ後の右手指の状態だと思われる。
実は中宮寺 弥勒菩薩像も、如意輪観音の一つの姿とする説があるのだが、この2像に共通しているのは瞑想で使用する腕を支えるために片膝を利用した体制をとっていることだ。
如意輪観音像の両側の石仏は像容が不明確だった。
151号線を向いた石檀の北西の平地に位置する建物は神社仏閣と言うよりは一般住宅といった造の建物だった。
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左端の1/3が白壁が主体で腰までが灰色の壁。
右側の2/3が軒下のみが白壁で、それ以外がレンガ色の壁と、2種に区別されている。
左端の1/3に祭祀物の存在を推測させるる格子戸が立てられているので、そこに向かうと、軒下に「観音堂」の扁額が掛かっており、梁には唐草模様が刻まれていた。
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そして、コンクリートでたたかれた土間が外から軒下まで入り込み、拝所となっていた。
格子戸越しに堂内を見ると、白壁以外が緋色に統一されており、やはり緋色の洒落た格子戸が閉め立てられ、火炎形の白い幕が下ろされ、鴨居には注連縄が張られ、拝壇の両側には、紙垂(しで)が重ねられているものの、ここまでの神社で見てきたような榊立てが対になっている。
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鴨居中央には表記できない三文字の扁額。
その両側には達筆で読めない、やはり金箔押された扁額が掛かっていた。
中央の扁額の三文字は現代では「大悲閣」と表記される「観音堂」を意味する別称だった。
その洒落た格子戸の奥の部屋に置いてある物は見えない。
諏訪神社の総本社である諏訪大社には、今では不明になっている祭祀物が重層的に習合して祀られてきており、歴史的には縄文時代から祀られてきた可能性のある複数のモノのところに正史ではタケミカヅチとの力比べで天孫族に敗れたタケミナカタが逃げ込んだことになっているのだが、逃げ込んだタケミナカタの一族は先住の一族と戦って勝利したものの、その一族を滅ぼすことなく祭祀に登用しており、その後、仏教が入ってくると、仏教をも習合している。
中央構造線で諏訪と結ばれている、ここ奥三河には仏教と習合した諏訪信仰が入ってきた後に神仏分離が行われたことで、能登瀬諏訪神社の一部のような形で観音堂が奉られているのだと思われる。
観音堂の右側に連なる2/3には祭祀物は無いようだ。
151号線からは石段で観音堂に上がって行けるようになっており、三石仏が見えるようになっている。
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(この項、終わり)
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瞑想(メディテーション)のテクニックに関しては庚申塔や東照宮に見られる三猿像にも反映されています。「見猿・言わ猿・聞か猿」がそれです。その中の「見ざる」のテクニックの存在が中宮寺の弥勒菩薩像にも反映されており、三猿像はガンジーの机の上の飾り物として置かれていたことが知られており、アフリカに行けば、お土産の飾り物としてお店に並んでいたりするようです。