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【短編】汚れた靴と寒い夜
誰でもない誰かの話
一生懸命生きたよね。
だから、ありがとうっていう気持ちで
さよならしようね。
一緒に生きてきた猫が、
朝日が登る雪の日にキラキラ輝く世界に
命の動きを止めた。
やけに物分かりの良い僕は、
冷たく硬くなっていく猫を撫でながら
大人みたいにありがとうを言って
お別れをした。
それからの僕はどんな猫を見ても
あの猫みたいに可愛がれる自信がなかった。
「え、殺すんですか…。」
空が澄み渡る寒い夜。
土嚢袋に血が滲むほど
頭を殴られた人間を初めて見た。
視界は真っ暗にされて
手足は縛られている。
触ってみると生温かくて
かろうじてまだ生きている。
息がか細くて
瀕死の状態だ。
「死んでも誰も困んない奴だよ。
車の前に飛び込んできて
バンパーにぶつかってよ、
殺してくれーってうるせえから、
石でぶん殴ってやったんだ」
状況をそんなふうに話すなんて
随分余裕なんだな。
「あんまり派手なことすると…」
「なんで死にてえかは知らねーが、
責任持って殺してやるよ!」
「待ってください。」
この時はたぶん、気の迷いだった。
猫をもう飼わない
子どもながらに失う寂しさを知って
命のあるものから
遠ざかって生きてきた。
滴り落ちる血液。
身体から無くなってしまいそうだ。
「僕が、引き取ります。」
「あ?」
「どんな人かは分かりませんが。
引き取ります。」
「もうすぐ死ぬぞ」
「分かりませんよ」
「好きにしろよ」
微かに聞こえる息の音。
「ねえ、君は生まれた時と
死にそうな今なら
どっちが好き?」
「………」
「漫画みたいにさ、
ここから助かったらどう思うのかな。」
「………」
「延長戦は案外楽しいかもよ」
土嚢袋を取れば
腫れ上がった顔が出てきた。
目なんか開いているかどうかわからない。
「ブラックジャックって本当に居ると思う?」
「………」
「僕がそうだよ。感謝して。」
「……殺せよ…。」
「どんな事情があっても治してあげる。
痛いだろうね、いま凄く。」
掃き溜めみたいな町に
どんな事情があっても必ず治す医者がいて、
僕はそこに連れていくだけだった。
ブラックジャックは
そっちで、僕は…モブキャラだ。
ボロ雑巾みたいな人間は
意外と若い男だった。
カリオストロから帰り着いた
ルパン3世のように怪我が酷くて
今夜がヤマだって。
陸から切り離されたような
人がいるのが忘れられそうな土地に
僕らは住んでいる。
だから、殺しだって
しょっちゅうだし、
誰がいなくなったって誰も気にしなかった。
女が男に襲われたりするのも
日常茶飯事で秩序のカケラもない。
僕は幼い頃猫と一緒に暮らしていたから
きっとマシな生活をしていたんだろう。
「…うう…」
うめき声がする。
いいぞ、もっとだ。
苦しがる声は生きようとしているからだって
僕は知っている。
誰に教わったかは忘れたんだけど。
「……なん、なん、だよ…」
「僕、初めて人間を飼うんだ。
ねえ、君に名前はあるの?」
「…はあ?」
無理もない。僕はおかしなことを言っている。
「僕はね、蹴られたり殴られたりしたけど
君を殴らずに蹴らずに
大切にしようと思うよ。
ステキなことじゃない?」
「……」
「僕が名前をつけて良い?」
「…はあ?」
「じゃあ、なんて名前?」
「…小沢。」
「そうか、スピードワゴンだ。」
「ふざけんな」
「いいね。元気になってきた。
食べるかい?」
一応、お粥を作ってみた。
冷めて不味いだろうけど。
徹底的に殴られた顔は骨も折れていて、
口を動かしたら痛いだろう。
「良いこと教えてあげるよ。」
「…え?」
「君は今、最悪な世界にいる。
もちろん僕も。
だけど、君はこれから僕といるから
きっと猫のように大切にしてあげるよ。
だから、チャオちゅーるをあげる。
口を開けてみて。」
木の匙に掬ったお粥を口に近づけてみた。
その口は開くことはない。
良いだろう。
「じゃあ、自分で食べるかい?」
ただのお粥だ。
器ごと捨ててやろうか。
「…なんで助けたんだ?」
「生きてだからだよ。
死んでたら焼いて捨てた。」
「なんとも思わずに?」
「死体は山ほど見てる。」
「葬儀屋か…うっ」
お粥を乗せた匙を口に突っ込んでやった。
口の中は歯も折れて切り傷だらけで
最悪らしい。
水さえ含めないほどの状態らしいが
うるさいから黙らせた。
「君の口はうるさい。黙って食べなよ。」
身悶えして倒れ込む姿が
気の毒だが滑稽だった。
小沢は独り身で家がなかった。
石の当たりどころが悪くて
左目の眼球は潰れたが
僕が献身的に面倒を見るおかげで、
顔の怪我も体の怪我も
少しずつ良くなっていく。
参ったな。
元気になればどこかに
行ってしまうだろうな。
僕は焦り始めた。
やっと飼った生き物なのに
いなくなるのは困る。
「キュウゴ」
「勝手に呼ぶな」
寝床から声をかけてくる小沢に
イラつきを感じる。
「喉が渇いた。」
水をぶっかけてやりたくなるが、
コップに一杯、水を汲んで渡してやった。
腫れの引いた顔は驚くほどに平だった。
医者も顔が治ったのを見て驚いた。
治すのが仕事なのに。
「ありがとう。」
「小沢」
「ん?」
「僕は小沢の飼い主だけど
小沢をどうして良いかわからない。」
「……自由にさせたら?」
「どこかに行くのがわかるからできない」
「キュウゴには世話になったよ。
確かにそうだ。」
「そうだ。
僕は君の治療のために
たくさんの臓器を予約された。」
「俺のは使いものにならないからな。」
「状態が悪いそうだね。」
「だから、死にたいのに。
なぜ助けたんだ?」
「知っていても助けたよ。
むしろその方がいい。
僕たちは猫と違ってゾッとするほど長生きだ。」
「そうだな。欲張りすぎてる。
だから、あと1年て聞いたとき
嬉しくて飛び上がったよ。」
「ならなんで車に飛び込んだの?」
「酒に酔っていたよ。
もう一年寿命が延びそうだって聞いて。」
「静かに終える最期が、
あとそのくらいでくるなら
文句はないだろう?」
「どうかな。」
小沢は何も悲しくもないけれど
何もないのが寂しくて
時々泣いている。
僕にも何もない。
何もないのが切なくても
僕は涙を流さない。
心がカラカラになって
頭がスーッとする。
そんな日々をこの町で過ごしてきた。
猫が死んでからずっと。
「小沢」
「ん?」
「次に医者に行くのはいつ?」
「ああ…もう行かないことにしたんだ。」
「なんで?」
「痛み止めをもらうだけにしたから。」
「死ぬの?」
「今回うまく行かなかったこと
次回はうまく行くっても限らないし、
ずっとこうなら早めに違うものになりたい。」
「小沢…」
「ん?」
「年末と年始はどっちが好き?」
「Twitterに載せとくよ。」
「質問箱持ってるの?」
「キュウゴが見たらわかるようにしておく。」
「月曜日とお正月はにているように思わない?」
「そうだな、始まりの範囲が違うだけ」
「僕わかるよ。」
「え?」
「小沢が好きなのは
年末で、月曜日は憂鬱だろ?」
「さあ…。わからんな。」
小沢のコートに冬の匂いがまとわりつく。
潮の香りが鼻につく
この町独特の匂いだ。
僕は、ナイロンのダウンだから、
匂いを追い払える。
「僕、この町を出たい。
いつか、生まれ変わって、
猫になる。」
「正気かよ。不幸せな猫もいるぜ。
金持ちの猫なら良いけど。」
「なりたいのは、
保健所に追いかけ回される
葉っぱだらけの汚い猫だよ。」
「なんで?」
「みんなに悲惨がられて、
嫌なもの扱いされて、
車の下とか、家のヌレーンの下から
幸せな人たちを眺めるんだ。」
「寂しいな。」
「その時こそ、
馬鹿野郎って泣いてやろうって。」
「そんなに強くないだろ、キュウゴ。」
僕らは弱い。
泥だらけで汚い靴に寒い夜。
「死ぬ前に温泉行きたいな。」
吐く息が白い。
ボロボロの小沢に雪が降る。
やつれた顔にやつれた体。
立ち上がろうと力を入れても
立ち上がれない。
「一回死んで、また死ぬんだ。」
「え?」
「キュウゴの中で俺が消えたら
また、すぐ会いにくるかもな。」
「さよなら小沢。」
盗んだ拳銃に弾をこめて渡した。
「なんだか、軽いな。」
「僕は明日臓器を全部医者に渡す。」
「そうか。」
「空っぽの器になるらしい。」
「世話になったな。」
「先に行ってね、小沢。」
小沢が海辺で頭を撃ち抜いたのは2分後。
僕は生まれ変わったら何になるだろう。
この町にまた来たら
全力で脱出を試みるだろう。
叶わない夢と知って
悲しくてため息をつくだろう。
保健所に駆除される猫みたいに、
眠らされて
ああ、さよならだって
小沢のそばにいる夢を…
#オリジナル小説 #短編小説
#自殺しないための遺書 #孤独
#暴力が書きたい時はちょっと迷ってる
だいたい、
20前後くらいの人物設定です。
白と黒しかなくて、
線だけで描いた世界が広がっていけば……
カラフルじゃなくて。
私を離さないで
みたいな世界観と暴力を掛け合わせると
こんなに嫌な感じになるのかと。
時々、嫌な気持ちになるものが
読みたくなります。
救いのないような。
くらーい小説。
そこには少しの優しさが隠れていて
見つけた時に頭の中がグラッとするんです。