なよまる(コマツミナヨ)

知らない人の知らない日記を読んでみたい人はぜひ。 離婚協議中で2年半振りのパートを始めます。 そして小6の不登校娘もおります。 人生いろいろありすぎてます、まだ30前半なんですけどね。

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求職について、夫婦について、子育てについて、健康について。赤裸々に私の視点でエッセイを更新します。 悩みを抱えるみなさん、1人じゃないです。

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    サクッと読める、500字以内のエッセイ記事をまとめています。 読書が苦手な人はこのマガジンから挑戦してみると良いかもしれません。

最近の記事

体調不良で弁護士に丸投げした離婚調停3回目

先日、離婚調停3回目を迎えた。 すなわち、3ヶ月が経過したということ。 題名にある通り、私は風邪を引いてしまって不参加。 熱は下がったけれど離婚調停に臨める体力はまだ回復していなかった。(体だけでなく心も) 昨年体調を崩した時、『無理をしない』と肝に銘じろ。と自分に言い聞かせてきたので、それを実行したことになる。 実際、調停を欠席したことで心身ともにだいぶ楽になったように思う。 まあ、そもそも私が行かずとも弁護士がやってくれるし調停になんら支障はないので、これは弁護士を

    • さよならストレスボディブロー

      今の私は未来に対して不安を感じるばかりで、 人生の中で最も大きなストレスを抱えている時期なのではないかと思う。 夫の不貞、離婚調停、子供の不登校、祖父の死、就活、引越し。 一つ一つの出来事がボディブローのように私の体力を削る気がする。 改めて文字に起こすと、想像していたよりもヘビーな字面で胃もたれしそう。 このボディブローを受けている最中、考えすぎて吐き気を及ぼすようになった。 嘔吐してしまう前に、このストレスボディブローをかわそうと、ノートにひたすら書き殴ってみた。

      • 出勤2日目、向いてないかもしれない。

        この世界に、自分の適職を完璧に理解している人って、いる? 私は、幼少期から自分が分からないという気持ちを抱えて生きてきた。 何が分からないのか? まず、やりたいことが分からない。 小学生の頃に習っていた器械体操、ソフトボール、ピアノ、ミュージカル。 親がコーチをしていたから器械体操を始めたし、姉が入っていたチームの人数が足りないからソフトボールを始めることになった。 ピアノも姉の真似をして、ミュージカルも多分そうだった。 唯一自分からやりたいと言った習字は、 「ミ

        • お喋り調停員との第2回離婚調停

          まさかの夫が現れず話しが進まなかった1回目の離婚調停から1ヶ月。 今回、夫は電話参加をするらしい。

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        • 500字以内のショートエッセイ
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          体調不良で弁護士に丸投げした離婚調停3回目

          先日、離婚調停3回目を迎えた。 すなわち、3ヶ月が経過したということ。 題名にある通り、私は風邪を引いてしまって不参加。 熱は下がったけれど離婚調停に臨める体力はまだ回復していなかった。(体だけでなく心も) 昨年体調を崩した時、『無理をしない』と肝に銘じろ。と自分に言い聞かせてきたので、それを実行したことになる。 実際、調停を欠席したことで心身ともにだいぶ楽になったように思う。 まあ、そもそも私が行かずとも弁護士がやってくれるし調停になんら支障はないので、これは弁護士を

          体調不良で弁護士に丸投げした離婚調停3回目

          お喋り調停員との第2回離婚調停

          まさかの夫が現れず話しが進まなかった1回目の離婚調停から1ヶ月。 今回、夫は電話参加をするらしい。

          お喋り調停員との第2回離婚調停

          お喋り調停員との第1回離婚調停

          9月某日、とうとう1回目の離婚調停期日がやってきた。 なんと、今時の離婚調停は、家庭裁判所に出向かなくとも、ビデオ通話は弁護士のアカウントのみが使用可能なので、弁護士をつけた人だけの特権。 電話での参加は、個室であれば本人のスマホからでも可能なんですって。 離婚も手軽になったもんだ。 とは言え、離婚調停にまで発展した拗らせカップルの話し合いがその手軽さを十分に利用できるとは限らない。 私の場合、第1回目の調停期日に、夫が家庭裁判所へ現れなかった問題が発生した。

          お喋り調停員との第1回離婚調停

          母親の役割を果たしたい

          ふと思う。 子育てをしていると、正直母親という肩書きを突き破るような、毒々しい感情が芽生える瞬間が、ある。 この感情は誰かを傷付ける。 娘だけじゃなく、家族も、もしかしたらそれを目にしたり聞いたりした見知らぬ人も。 分かっているから出来るだけ口に出さないように、自分だけのものとして心の奥深くにねじ込んで、重しを置いてもう浮かんでこないようにしていた。 見て見ぬふりをしていつまでも放っておいたら腐ってしまって、取り出さずを得ない状況に、今なっている。 正直、自分に向

          母親の役割を果たしたい

          あの日の事はジグソーパズルの1ピース

          私は大人になってから読書をするようになった。 小学生の頃、朝読書という時間が設けられており、強制的に全校生徒が本を読ませられる教育を受けた。 私には苦痛以外の何者でもなかったし、その時どんな本を読んだのか、一文字も覚えていない。 本を読まずに成人式を迎え、子供を産み、母となった。 娘の通う幼稚園で出会ったママ友が無類の読書好きだった。 彼女との会話はテンポが良く、面白く、いつも賑やかだった。 私は彼女が大好きだ。 平成が終わる頃に出会った彼女は数少ないガラケー所持

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          娘が不登校になって知った、私の未熟さ

          うちの小6は、5月から不登校が続いています。 夏休み前までは、スクールカウンセラー、教育センター、社会福祉士、心理士などの公的機関にいろいろ頼ってみました。 私から見て、手応えなし。 どうしたものか。 母である私も娘の心のうちを全て知ることは難しい。 私から見た娘は、 自分の気持ちを伝えることが苦手 人の気持ちを汲み取るのが上手 1つ上手くいかないと、他の全てが嫌になる とにかく優しい 家族思い 打たれ弱い ちょっと繊細だけど優しくてついつい頼りにして

          娘が不登校になって知った、私の未熟さ

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          お喋り調停員との第1回離婚調停

          9月某日、とうとう1回目の離婚調停期日がやってきた。 なんと、今時の離婚調停は、家庭裁判所に出向かなくとも、ビデオ通話は弁護士のアカウントのみが使用可能なので、弁護士をつけた人だけの特権。 電話での参加は、個室であれば本人のスマホからでも可能なんですって。 離婚も手軽になったもんだ。 とは言え、離婚調停にまで発展した拗らせカップルの話し合いがその手軽さを十分に利用できるとは限らない。 私の場合、第1回目の調停期日に、夫が家庭裁判所へ現れなかった問題が発生した。

          お喋り調停員との第1回離婚調停

          良いことも悪いことも

          今年、娘が5月病のような症状を引き摺って不登校になった。 毎日3食を共にして、家にいるばっかりじゃ体力も落ちるだろうと外に連れ出す口実を作ったり。 赤ちゃん期の育児と同じくらい一緒に過ごす時間がある。 同級生のみんなは中学受験準備が本格的に始まっているし、それでなくても学校に毎日通っている子が当たり前でほとんど。 我が子が多数派から外れていると、やはり心配。 これはどの親も同じだと思う。 今はまだ真っ暗なトンネルを歩き続けていて出口は見えないが、そのトンネルの中で、も

          良いことも悪いことも

          自分のセンスを信じる力

          今、娘は小学6年。 前の記事にも書いてあるが、学校は行ったり行かなかったり。 私が小学6年生、12歳の頃は、どんな子供だったか。 少し思い出してみる。 私が12歳だった頃は、 1家庭に1つ、クラスの99%の家に固定電話が置いてあった。 友達に遊びの誘いをする時も、もちろん自宅の固定電話から友達の家の固定電話にかけていたくらいに不便だった。 大体そういう時は友達の親か祖父母が電話を取るので、少し緊張して名乗っていたことを覚えている。 (電話の出方がなんか怖いお父さん、

          自分のセンスを信じる力

          母親の役割を果たしたい

          ふと思う。 子育てをしていると、正直母親という肩書きを突き破るような、毒々しい感情が芽生える瞬間が、ある。 この感情は誰かを傷付ける。 娘だけじゃなく、家族も、もしかしたらそれを目にしたり聞いたりした見知らぬ人も。 分かっているから出来るだけ口に出さないように、自分だけのものとして心の奥深くにねじ込んで、重しを置いてもう浮かんでこないようにしていた。 見て見ぬふりをしていつまでも放っておいたら腐ってしまって、取り出さずを得ない状況に、今なっている。 正直、自分に向

          母親の役割を果たしたい

          泣けない子供だった頃の話し

          突然ですが、子供の頃から喜怒哀楽を上手く表現できていましたか? 私はできていませんでした。 たとえ家族であれ、人前で泣くのがどうにも苦手。 中学最後の部活の試合、地区優勝して県大会出場をした時のことを今でも鮮明に覚えています。 私は、ソフトボール部の部長をしていました。 ポジションは、ピッチャー。 打順は3番か5番。 バッテリーを組む友人Rちゃんとは、小学校からの友達でした。 毎日練習に明け暮れ、これが一緒にプレーできる最後の試合かもしれない。 そんな気持ちの中で

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          あの日の事はジグソーパズルの1ピース

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          エッセイ本を出版してみたい

          私は、夢を語るのは恥ずかしいと思っていました。 小学生の頃、大ハマりしていたアイドルに会いたいから芸能人になりたいと思ったことがあります。 そしてそれを聞いた父は、 「お前が?出来るわけないだろ」 と笑いながら言いました。 それからは大きな夢を語ることもなく、ただ自分が出来そうなことを選んできました。 流れに身を任せて、冒険よりも現実を。 だけれど大人になるにつれ、 人生はそんなに長くない そう感じることが増えてきました。 この先何歳まで生きるか分からないけれ

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          娘が不登校になって知った、私の未熟さ

          うちの小6は、5月から不登校が続いています。 夏休み前までは、スクールカウンセラー、教育センター、社会福祉士、心理士などの公的機関にいろいろ頼ってみました。 私から見て、手応えなし。 どうしたものか。 母である私も娘の心のうちを全て知ることは難しい。 私から見た娘は、 自分の気持ちを伝えることが苦手 人の気持ちを汲み取るのが上手 1つ上手くいかないと、他の全てが嫌になる とにかく優しい 家族思い 打たれ弱い ちょっと繊細だけど優しくてついつい頼りにして

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          憧れの親友の話し

          私には親友がいる。 中学1年の時クラスメイトとして出会い、それからの付き合いになる。 彼女はいつも明るく元気を振り撒きながら歩いているような人で、 通りすがりの外国人から『君の笑顔は輝いている』とナンパされたこともあった。 (その時、隣に私もいたが見向きもされなかったと記憶している) そして彼女はクレバー。 これは学力やIQとかの話しではなく、対人関係や友人関係、生きることの能力の話しで。 その明るさを押し付けることなく、彼女は彼女としてただ、そう生きている。 そ

          高校生でも31歳でも好みは変わらないのかもしれない

          高校生の頃、私たちの学校では空前のギャルブームだった。 クラスメイトの仲良し数人でegg、popteen、小悪魔ageha、Ranzukiなどを毎月1人1冊担当を決めて購入し、回し読みしていた。 田舎の少女たちは都会のギャルに憧れがあったし、大人からやめなさいと言われることがやりたくて、スカートを短くして毎日ギャルメイク研究に勤しんでいた。 そんな、流行り=ギャルだったあの頃。 私がギャル系雑誌の他にも好んで読んでいたのが、青文字系雑誌。 Zipper、CUTiEなど

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          ぜんぶ厄年のせいにするには色々起こりすぎやしませんか

          このnoteは、ここ最近のしんどさが脳内だけじゃなく体中に渦巻いてどうしようもなくなったので勢い余って出てしまった言葉たちです。 大便と同じです。 なにごとも吐き出さないと不健康になります。 まず2024年、女の大厄。 前厄から体調不良続きでこれはやばいかな。 健康で生きたい。 とりあえずまずは健康第一。 他のことはその後で考えよう。 そう思って、2023年12月に、厄除け行ったんです。 2024年は健康で幸せに過ごせますように こう祈ったあの日から約3ヶ月後。

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          未来のために、ただ、子を育てる。

          『子宝に恵まれる』という言葉がある。 読んで字の如く、子は宝だと思う。 私がおばあちゃんになった時。 その時の世の中を動かしているのは、今子供である彼ら彼女らだ。 そんな未来の大人たち(今の子供たち)が、 健康で、自信を持って生きていけるように。 私は今日もご飯を炊く。 私の娘は思春期真っ只中で、ホルモンバランスに振り回され、理由もなく怒ったり、全てが嫌になったり。 小学校は行ったり行かなかったりだ。 きっと彼女にとって、人生で1度目のクライシス。 そんな初ク

          未来のために、ただ、子を育てる。