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自分のセンスを信じる力
今、娘は小学6年。
前の記事にも書いてあるが、学校は行ったり行かなかったり。
私が小学6年生、12歳の頃は、どんな子供だったか。
少し思い出してみる。
私が12歳だった頃は、
1家庭に1つ、クラスの99%の家に固定電話が置いてあった。
友達に遊びの誘いをする時も、もちろん自宅の固定電話から友達の家の固定電話にかけていたくらいに不便だった。
大体そういう時は友達の親か祖父母が電話を取るので、少し緊張して名乗っていたことを覚えている。
(電話の出方がなんか怖いお父さん、いたよね。笑)
そんな時代、服を買う時も、ゲームのカセットを買う時も、ビデオを借りる時だってお店に足を運ばなくてはならない。
今はスマホでポチッとすれば数日後には届くし、映画なんてサブスクという素敵なコンテンツが登場してからは当たり前に自宅で楽しむものになった。
私が住んでいた田舎にはショッピングモールなんてものは無い。
すぐにサイズアウトしてしまう子供服なんて、スーパーの2階にある衣料品売り場で十分だった。
12歳の私は、とにかくボーイッシュな格好が好きだった。
スカートなんて1枚も持っていない。
スーパーの2階に母と服を買いに行った時、私は男児用服のコーナーしか見ていなかった。
その狭い中から選ばれたコーディネートは、それはそれは不思議な組み合わせの服たち。
迷彩柄のダウンジャケット、
真っ赤なTシャツ、
カーキのカーゴパンツ。
肩につくくらいの後ろ髪はそのままで、長い前髪をちょんまげのように結んでいる女の子が着るには、ちぐはぐな印象を受けるだろう。
更に、冬の寒いに日には趣味で作ったマフラーを着ける。
それも、淡いピンクとクリーム色の毛糸で編んだもの。
とってもファンシー。
極め付けに、ランドセルもピンク。
あの当時、ピンクのランドセルは全校生徒約900人中、たった1人だった。
今思えば、ちぐはぐにも程があるだろう。とツッコミたくなる格好だ。
けれどもそれを堂々と着ていたのは、どんな服を選んでも母が肯定してくれていたから。
母はセンスが無かったわけではないと思うが、見た目よりも私の心を守ってくれたのだと思う。
女の子らしくない服装でもそれを受け入れて買ってくれたし、私が頑張って編んだマフラーがコーディネート的にちぐはぐでも、その努力した私の時間を褒めてくれた。
自己肯定感を高める育児をしてくれたのかなと、子育てをする立場になって気が付いた。
それから20年ほど経ち、現在の私は社会に溶け込むというスキルを身に付けた。
『女の子らしい』という言葉とは無縁だったちぐはぐな服を着た子供が、無難なトレンド服を着るようになった。
一見するとだいぶ変わってしまったように思えるが、31歳になっても尚、心の根っこにはあの頃の私が存在している。
そう、自分のセンスを信じる力。
そのせいで、エッセイ本を出版したい、などと夢を語ったり、写真詩集を出したい、と思い付いたり。
自分のセンスを信じて夢をみる大人になったのだと思う。
これには、幼い私のセンスを否定せず、指摘もせず、一緒に男児用服を探していた母にも責任はあると思う。
責任を持って、これからの私も見守って欲しいと、強く思う。
そして私も、娘自身が自分のセンスを信じる力が身につくような子育てをしたいと、心から思っている。
そして、責任を持って娘の人生を見守りたいと、強く思う。
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