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神しかいない

生きていると辛いこと、苦しいこと、嫌なことなど望まないことが起こります。

結果には必ず原因があるから、原因を知り、正せば解決するというのが一般的な見解です。

ではその原因とは何なのでしょうか?

小さなものから大きなも、シンプルなものから複雑に絡み合ったものなど多種多様にあるように見えます。

過去のマスター達および私の師匠は『あるもの一切は神のもの』だと言います。

今、与えられている環境、能力、身体も全て神が与えたものです。

私達は何一つ選んでいません。

今ある価値観、考え方も神が与えたものだから、私の考えというものはないと言えます。

話を元に戻すと一切が神のものならば、一切の原因も神ということです。

神とは弥栄であり、歓喜であると言われます。

原因が弥栄、歓喜なら結果も弥栄、歓喜にしかならないはずです。

なぜそうならないのか?

人が一切の弥栄、歓喜を嫌うからです。

なぜ嫌うのでしょうか?

我善しの心があるからです。

我善しにとって我の喜び以外は邪魔でしかありません。

だから我の喜び以外を嫌うんです。

我善しは神心に反する故に弥栄、歓喜に反する結果しか生みません。

だからマスター達は我善しをやめなさいと口癖のようにように言うわけです。

ですが我善しも神が与えたものです。

我のみの喜びの追求が誰の喜びにもならないと身をもって知ることも我善しをやめ、神心に近付く道であります。

神はこのようにあらゆる手を使って人を弥栄、歓喜へと導こうとしています。

だから起こること一切には意味があり、一切に意味があるから神しかいないんです。

日月神示ではこのように言われています。


【黄金の巻 69帖】
何も彼も存在許されているものは、それだけの用あるからぞ。
近目で見るから、善ぢゃ悪ぢゃと騒ぎまわるのぞ。
大き一神を信ずるまでには、部分的多神から入るのが近道。
大きものは一目ではわからん。
この方世に落ちての仕組みであるから、落として成就する仕組、結構。
神様は親、四角張らずに近寄って来て親しんで下されよ。


【黄金の巻 76帖】
真理を知って、よくならなかったら、よく省みよ。
よくなるのがマコトであるぞ。
悪くなったら心せねばならん。
善人が苦しむことあるぞ。
よく考えて見い。
長い目で見てよくしようとするのが神の心ぞ。
目の前のおかげでなく、永遠の立場から、よくなるおかげがマコトのおかげ。
神徳は重いから腰ふらつかんようにして下されよ。
その代わり貫きて下されたら、永遠(とわ)にしぼまん九の花となるぞ。
二二(フジ)に、九(ク)の花どっと咲くぞ。
拍手は清めであるが、神様との約束固めでもあるぞ。
約束違(たが)えるでないぞ。


【黄金の巻 87帖】
まことに改心出来たと、神が見届けたら、今度はこの世はものより、何の心配もないように護って、肉体、顔まで変えてやるぞ。
宿命と運命は同じでない。
磨けばどんなにでも光るぞ。
放っておいても神に背くものは自滅して行き、従うものは弥栄えて行くぞ。
其処(そこ)に神の能、よく悟りて下されよ。
人間の処理方法と神の処理方法と融和せねばならん。
急がねばならず、急いでは谷底に落ちて出来損なうぞ。
ありとあるもの、何んでも彼んでも天地の御用持っているのぞ。
そのものの勝手な道は許さんぞ。
大き喜びの中に、小さい自分の喜び大きく栄えるぞ。
大きな生命の中にこそ小さい自分のマコトの喜びが弥栄えるのであるぞ。
わかりたか。


【黄金の巻 96帖】
天地すべてのもの、生きとし生けるもの悉く、よりよくなるように働いているのであるぞ。
それが神の心、稜威(みいづ)ぞ。
弥栄と申すものぞ。
その人間のキに相応した神より拝めん。
悪いキで拝めばどんな立派な神前でも悪神が感応するのぢゃ。
悪神拝んでも正しき愛と喜びあれば、善き念が通ずるならば、悪神引っ込んで、それぞれの善き神現われるのぢゃ。
この道理よく心得よ。


【黄金の巻 97帖】
生命捨ててかからねば、まことの理解には入れん道理。
身慾信心では駄目。
いのち捨てねば生命に生きられん道理。
二道二股多いと申してあろう。
物の文明、悪(あ)しざまに申す宗教は亡びる。
文明も神の働きから生まれたものぢゃ。
悪も神の御働きと申すもの。
悪にくむこと悪ぢゃ。
善にくむより尚悪い。
何故にわからんのか。
弥栄ということは歩一歩ずつ喜び増して行くことぞ。
喜びの裏の苦に捉われるからわからんことに苦しむのぢゃ。
苦と楽、共に見てよと申してあろう。
偶然の真理、早う悟れよ。


【黄金の巻 98帖】
大切なもの一切は、神が人間に与えてあるでないか。
人間はそれを処理するだけでよいのであるぞ。
何故に生活にあくせくするのぢゃ。
悠々、天地と共に天地に歩め。
嬉し嬉しぞ。
一日が千日と申してあろう。
神を知る前と、神を知ってからとのことを申してあるのぞ。
神を知っての一日は、知らぬ千日よりも尊い。
始めは自分本位の祈りでもよいと申してあるなれども、いつまでも自分本位ではならん。
止まると悪となるぞ。
神の道は弥栄ぞ。
動き働いて行かなならん。
善と悪との動き、心得なされよ。
悪は悪ならず、悪にくむが悪。