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介護状態なのに介護と認めてもらえない3

これから書くことはただただ「疲れました」という長〜いボヤキです。

これまでの経過は2度書きました。
重複することもありますがご容赦ください。


現状

私の家族が歩行困難になって1年以上、ほぼ歩けなくなって半年ほどになる。
私が会社に行くと、その後は私が帰るまでずっとひとりで家に残ることになる。
丸々1日、移動がほぼ出来ない状態である。
すべての関節が痛いため、自力でトイレで用を足すには2時間ほどかかる。脱ぐことも履くことも「痛い。痛い」と言いながらである。
立ち上がるにも時間がかかる。コンディションが良くない時は立ち上がれない。
となると私が帰るまでの数時間トイレで座り続けなければならない。
だから今はトイレにも行かない。
したがって必然的に成人用の生理用品を履いて生活するのだが、むれてだいぶきつそうだ。かぶれも起こっている。

空調もつけっぱなしにしてサーキュレーターも2台稼働させているが、なぜかエアコンが勝手に止まってしまうことがあり、リモコンは手が届く場所にあるものの「センサーが届かなかった」と言われた時もあった(私がやったらすんなり動いた)。

訪問看護は週1回のみ。
本来なら毎日来るレベルだが、お金がない。

ある日、「買い物に行きたい」と言ってきた。
出かけるための着替えは自分でやってもらうようにしているし、何か手助けをしようとすると「自分でやる」と突っぱねられる。
準備が整うのを長く待機し、家を出たら雨が降り出してきた。ミジメな気持ちになる。

十二分に「入院手術」レベルなのである。

しかしとにかくこちらの言う事には反発をする。「人の言う事に従う」=「言いなり人間」という意識が強く、ほぼ必ず反対意見を出してくる。
不平不満ばかり並べてくる。
次々と要求を出してくる
「やりたくても私は動けないんだ」
が決めゼリフである。

「私はこれが出来ない」と言われた場合、手段はふたつ。
◯誰か別の人がやる
◯やらない
しかし、「やらない」は通用しない。「やらない」と言えば、その要求が完遂されるまで何度でも同じ言葉を言い続ける。数日間続いてもお構いなし。
だから「別の誰か=家族である私たち」がやるしかない。
しかし、私のキャパシティは狭い。
9時半か10時に帰宅してから食事をし、終えてから寝るまでの限られた時間で済ませなければならない。
最後に布団へ連れて行って寝かせるまでが私のミッション。
(子どもが食事の用意をしてくれる事は本当にありがたい)
朝は食事の用意をするために早く起きる必要がある(食べものを並べる程度だけど)。

その間やるべき自分の事もある。
それは最低限のところで終えるようにする。
「あなたなんで風呂に入らないの? 風呂に入らないで寝て平気なの?」と聞いてくる。
「入る時間がもったいないからね。その時間、寝る時間にあてたいんだよ」
とは言わない。言っても仕方がないから。

人の心は変わらない。
つくづく思う。

医療を何度か勧めるが、「お前が行け」と怒鳴り返してくる。

ほかのことをやる気力が少しずつなくなっていくのが、自分でもわかる。
先週の土日はひさびさに仕事がなかった。
時間はあるのだが、ほかの事をする気持ちが向かない。

心のバランスが揺らぐ。

思うこと

やってもやっても、私には全くうれしさがない。
ただやって、それで終わりなのである。
やるのはあたりまえである。家族なのだから。
しかしながら、たとえば自分の子どもに対しては、お金がもらえたりはいっさいないけど、何の見返りもない事はわかっているけど、つまらんと思うことはない。張り切って手助けできる。

この差は何なんだろうか。
自分でも理解ができない。

淡い希望、届かず

包括支援センターから打ち合わせがしたいと電話があった。
訪問看護の人がその足で包括支援センターに行ってくれたようだ。いくら私が包括へ訴えてもツレナイ返事しかもらえなかったが、訪問看護の人が何か進言してくれたのだろう。

家を訪問してくれ、いろいろ提言もしてくれた。

翌日も包括の方から電話があり、「大変ですね」と言われた。自分では大変なのかわからないでいた。なぜなら比較がないから。しかし、「この状況は大変なんだ」という事がやっと客観的にわかったし、それも包括さんの方に伝わったようだ。
その場で、次への対策を考えたいと言われた。

しかし、これら一連のことについても、

「人には知られたくないから広げるな」
「子どもには決して対応させるな」
「個人情報をむやみに言うな」

である。さらには、
「もうこの環境が息苦しい」と何度も(こちらに聞こえるように)言う。

なんでそんな事を何度も何度も言うのだろうか。

知人に相談したら「そういう事はどんどん周りに言って助けをもらうようにすればいいのにねぇ」という。
そのとおりだと思う。でも当人はそう思わないのである。
私は、応え続けてきた。もうパンクしそうな感覚があった。だからそういったセリフは「右から左」に心がける(心苦しいけど)。
この時だけ、相手の言葉がスワヒリ語やタガログ語に聞こえるアイテムがほしい。ドラえもん。。。

その後、包括さんからは一向に連絡がなかった。

まとめ

これまで、包括も含め、いろいろなところへ電話をして相談してきた。
その結果感じているのは、誰もがたらい回しにする、ということ。答えてくれている方には「たらい回し」の意識はないと思うが、受け取った私側の意識は「また別の所へ連絡して、ってことか(しかもそれをやるのは私)」である。
それはあたりまえである。なぜなら。。。

私の目標は明確である。
①手術をする
②障がい者手帳か介護認定を受ける
1は、先に書いたとおりである。
2は、医療の壁があまりにも厚く、意見書を書いてもらえない。ひとまず訪問医療の人に「なんとかしてもらえないのか」と聞いたが「医療(手術)が先」との返事。
結局、まったく進展はないまま。

包括さんに同情されただけである。

目標が達成できない以上、介護と認めてもらえない中でも介護をし続ける日々は続く。

今、訪問看護は「週1」のみ。もしも介護認定や障害者手帳があれば、今の「週1」の値段で「週3」に訪問日数を増やす事ができる。それでもだいぶ改善できるのである。
つまり、お金のある人だけが救われる、という事。
そして、そういう人と一緒に住んでいる私に、全責任がかかっている、という事。

それにしても思う。
睡眠時間は格段に短くなったが、これだけやっても私はダウンしない。
健康体に育ててくれた両親に感謝しかない。

でもねぇ、もう、疲れました。
打開策は途絶えました。これ以上いろいろ書いたところでただのグチですので、このへんでいったんお開きにします。

でも、こうやって今の「思い」を書き出して記録出来ている。
自分の思いも少しは整理できる(人から見たら全然まとまってないかもしれないけれど)。
そういうツールがここにある事に、感謝。


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東の京の田舎市民
至ってごく普通のサラリーマンのつもりですが少し変わった体験もしています。

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