こだわる気持ちを捨てられた
あまりにも忙しすぎて、夜ごはんを食べる暇が取れない日が結構あります。
もう少し詳しく言うと、
です。
通勤時間が2時間弱、と、自宅から遠方に職場があると、終電がことのほか早い。都内で勤務していた一時期より1時間半ほど早く電車に乗る必要があります。その電車に乗れるかどうかを時計とにらみ合いながら仕事を終わらせなければならないのです。
そんな時にMacがきちんと動かない、ということもざらです。
結果として食事をする時間など取れるわけがないという日が発生します。1時間早く帰らなくていいのであれば、その時間に食事できるのですが。
いや、もう少し詳しく言うと、
です。
夜ごはんがカップ麺、ちょっと寂しいです。
いや、以前はそうしていました。
終電で自宅に帰った後、「ど深夜なのであまりガッツリ食べたくない」という時はカップ麺だったのです。
でも、今は違います。
食べる事にこだわらない思考になったのです。
というのも、理由はこちら。
食べれないんだったら、その時間を食べずに過ごし、「16時間」にあてよう、と。
通常は、「夜ごはんはとり、翌朝の食事をとらず」、という生活です。
しかし、夜に食べられなかった日はそのまま寝てしまい、翌朝に食べることにしています。
夜食べられないときは空腹感はあるのですが、真夜中になるとその空腹感は過ぎ去っていますし、「とにかく帰宅できた」という安堵感+疲労でさっさと寝る事もできます。
やってみて気づいたのですが、「食べなければいけない」が変なストレスになっていました。
その変なストレスを気にしなくていい、という分、気持ちの面で健全かもしれません。
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至ってごく普通のサラリーマンのつもりですが少し変わった体験もしています。