まさか自分が適応障害に #1
はじめまして。ささみぃと申します。
自分が適応障害になり、休職した経過を何かに残したいと思ったので記録します。
もし同じような境遇の方などいましたら、共感していただけたら嬉しいです。
半生
・女性
・出生の際のトラブルで軽度の障害があります(歩いたり走ったりは問題ない!多分側からすると歩き方がちょっと変わった人 くらいだと思う)
・両親とも優しく、愛されて育ったと思います。たくさん迷惑をかけましたが、迷惑とは一言も言わず育ててくれました
・運動も勉強も中の下。障害のこともあり自分に自信がなく、子供の頃からぼんやりと希死念慮がありました
現職を志したきっかけ
・オープンキャンパスに行ったのをきっかけにリハビリ分野に興味を持つ。自分では無意識だったのですが、幼少からたくさんの人にリハビリしていただき支えられてきたので、そのような生い立ちも関係していたのかもしれません。
国家試験……
・国家試験受験!なんと最初は不合格!一年間浪人をしました。
はじめての挫折……だったのかも。周りの友達と比較しても自分は受験勉強を頑張っていたつもりだし(今思えばつもりなのがいけなかったのでしょう)、それなのに、友達は受かっていて自分は落ちている。情けなくて情けなくて……本当に堪りませんでした。このときに少々家族とも衝突し、遠方の親戚のもとに逃げました。このときもかなりメンタル的に追い込まれ、毎日死ぬことばかりを考えていました。思えばこのときも適応障害に近かったのかもしれません。
・一年遅れで国家試験合格!いつか浪人中のことも書いてみたいですね。
そして入職。入職してからは色々ありました。
入職!
何せ技術職なので体をたくさん使います。人より運動が苦手で筋肉もない。非力で、みんなができていることもできない!自己肯定感がビシバシと刺激され、どんどん自分が嫌いになりました。
同期も上司も皆良い人でしたが「周りにどう思われてるんだろう。恥ずかしい」「一年遅れてるんだから遅れを取り返さないと」「同期の中で一人だけ年上なのが情けない」などなどかなり考え込んでしまいました。
今思えば、一年の遅れを取り戻そうと躍起になり、必要以上に思い詰めていたのかもしれません。
・それでも一年弱頑張りました!
しかしもう少しで一年といったところでとある事件が起こります。それがきっかけで体調がおかしくなっていくのでした……
ところで……
みなさんは、涙脆いですか?
嬉しいこと、悲しいこと、感情が昂るとすぐポロリと泣いてしまう方いますよね。
私は全くの逆。
全然涙が流れないたちでした。もちろん感動する気持ちはあるのですが、それが涙と結びつかない、といった感じでしょうか。年単位で涙を流さず、最後に泣いたのはいつだったか思い出せないほどです……
体調の変化
そんな私が、入職して一年経つ頃には毎日泣いていました。夜は特に酷くて、「どうして好きに死なせてくれないんだ」とわけのわからないことを考え涙がポロポロ流れ、死ぬ方法を考えたり、実際に道具を揃えたりしていました。
なかなか眠れないので朝のだるさは凄まじく、出勤できず休み……その罪悪感で考え過ぎてまた眠れず……の繰り返しでした。
診断
上司は心配してくれて、友人には病院に行った方が良い!と勧められました。働き続けるのも限界だったので休職の相談をし、診断書に書かれたのは……
"適応障害"という名前でした……
長文を読んでくださりありがとうございました。反響がありましたら今後も細々と続けていきたいと思いますので、よろしくお願いします。