バケモノの子/自分を受け入れる、とかそういう話
本作では主人公のレンとライバルの一郎彦が対の関係として描かれます。心の闇が暴走した一郎彦に対し、レンが制御できたのは何故か。それはレンが自己を受容できたからだと思います。
バケモノの世界で暮らすことになったレンは、人間であることを理由に差別を受けます。否応なしに他者との違いを突きつけられるのです。
また武術の師匠である熊徹は口下手で上達法を教えてくれないから、熊徹を観察し、自ら工夫することで上達するしかありません。
やがて成長したレンは、図らずも人間界に戻り、楓と出会い、彼女から勉強を教わります。武術修行ばかりしていたレンは、「鯨」も読めないほど学がありません。
勉強はレンの世界をさらに広げます。楓の「私は私自身で本当の私を見つけなければ、本当の私になれない。その為に勉強をする。」という台詞はレンの弁明でもあります。レンにとっての勉強は将来いい会社に勤める為の職業訓練ではなく、他人にマウントを取るためでもなく、自分の殻に閉じこもるための知識武装でもありません。彼は学びを通して世界を広げることが成長に繋がると感じているのです。
こうしてレンは少しづつ己というパズルのピースを手にしていきます。
一方で一郎彦は「鯨」が読めます。彼はバケモノのエリートとして育ったからです。
彼は本当は人間なのに両親から「お前は立派なバケモノだ」と言われて成長します。当然、大人になっても父のように立派な牙は生えてきません。人間だから。
彼は焦りや不安から自分への疑念が生まれます。(自分は本当は人間なんじゃないか?)という不安が(そんなはずはない!自分はバケモノだ!)と本当の自分を受け入れられずに歪んだ自己肯定を生みます。
文筆家の二村ヒトシ氏は著書の『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』に於いて愛とは承認で、恋とは欲望だと定義します。それに則れば一郎彦は自分を愛せず、自分を好きでいようとする青年と言えるでしょう。
心の闇が支配した彼は白鯨に姿を変えて渋谷の街を襲います。劇中では『白鯨』を引用して「主人公が自分自身と戦うことのメタファー」だという台詞があります。だから一郎彦が白鯨に姿を変えるのは葛藤する自己の内面を隠喩しています。
またレンにも最大の試練が訪れます。実の父との再会です。やはりレンも人間とバケモノとの間で葛藤します。実の父から愛情を受けられなかったレンは、父に牙を剥き心の闇が暴走しかけます。
さまざまな経験を通して己を学んだ彼にも自己を受容するための最後のピースが欠けているようです。
ではそのピースとは何か。細田守監督はその答えを終盤に描きます。
本作の最終展開。代々木体育館での最終戦で、レンと熊徹は一つになります。ここでレンは初めて自分は愛されて育ってきたんだという実感、即ち生命に対する無条件の承認を受けるのです。欠けていた最後のピースです。
幼い頃に母と死別し、実父からも捨てられたと認識して育った彼の心は孤独です。ずっと孤独感を抱えて生きてきたから、学びを得たとしても自分を受け入れられなかったのです。
一人では自分を愛することはできない。他者からの承認を得ることで初めて達成できるのが、自己受容であるのだなぁ。と、僕は思ったのでした。
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