繊細すぎる男子二人との暮らしにクタクタになりながら、繊細すぎることについて考える。
息子さんたちは繊細すぎるんだろうね、と幾度となく言われてきた。
不登校、ひきこもりになっているから、その事態に隠れてしまうけれども
これほどまでになる繊細なところは、
私はむしろ彼らの長所だと思う。
思春期の今は、この性質が不利に働くこともあるだろうけれども、
私はこの精神的に繊細なところは、彼らのなくしてほしくない性質のひとつだと思っている。
これをなくさずに、
時間の経過や経験の中で
ゆっくりゆっくり
強さやたくましさを付け加えていけばいいと
そんな風に思う。
私は彼らの繊細すぎるところに悩まされ、彼らの苦しさを救えず、身動きのとれないどうすることも出来ぬ思春期の子育てになってしまっているけれども、
それでも私は、彼らの繊細すぎるところがいいと思うし、なくしてほしくないし、ありのままで生きにくさを手放せたらいいな、と願っている。
人は誰でもありのままで、その人らしさで誰かを助けたり、違う個性に助けられながら生きているんだと思う。
違いがあるからこそそれができるとすれば、人と違うことは誰かのためでもあるし、みんな違ってみんないい、とつくづく思うこの頃。
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