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2/7 卒アルには残らなくても。

ここ最近の落ち込みから少し浮上する。 
体のバキバキも心労からかもしれない。
気持ちがやわらぐと、体の痛みもやわらぐ。

つくづく全部つながってるんだよなーと思う。人体模型としての自分と、そのまわりをモヤモヤ漂う感情という命の仕組みが、だいぶ長いあいだ不一致を起こしている気がする。

心ここにあらず。
息子たちの子育てが難しくなってから、それが顕著だった。



だけど今はしばらく凪の時間を過ごしたい。
神様仏様ご先祖様、頼める祈願媒体に全力で安寧を発注したい思いで、問題に耐えられるパワーを今のうちにためたい感じ。


問題が起こらないように生きるんじゃなくて、問題が起きても大丈夫な自分になるために生きているのか、と最近よく思う。

何があっても大丈夫。
転んで立ち上がって、そのつどちょっと強くなるだけ。
そんなふうに生きていけばいいのかな、と。
フレキシブルに進んで行くことを、融通の利かない私は、今の思うようにならない子育てで学んでいるのだと思う。

こうでなければならない、という自分を生きにくくさせていた不毛な拘泥を、母子分離の過程で一枚一枚はがしていくような子育てとなっている。

渦中で幾度も渇望した「普通」と言われる道とは違ったけれども。
卒アルには残らずとも、母としてはこれはこれで私だけの子育ての思い出になるのかもしれないなと、いつか回る走馬灯でオリジナリティをもって思い返せていたらそれでいいかな、とも思う。

クリエイティブに生きたかったはずでしょ、と。
息子たちのクリエイティビティに打ちのめされている場合ではなかった。


私は私を生きなければと、落ち込んではまた立ち上がって、、、をリビングで、キッチンで、ダイニングで。日常で、もうその繰り返し。



































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