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切り離せ切り離せ。自分の過去と、息子の今と。

切り離して考えなければならないと思うことのひとつに、息子の今を見ているとうずく過去の自分の我慢、というのがある。

親に言いたいことを言い、親の前で精一杯病み、ひきこもり親を悩ませる、という一連の彼らの思春期は、その全てを封印した過去の自分がやりたかったことの再生を見せられているようで、嫉妬のような、羨望のような、何とも言えない苦虫を私に噛み潰させる。


特に二男が私に向ける態度は、かつての私が親にやりたったありのままだった。



無視やら乱暴やらだんまりやら、親にとってどうにもならない二男の悪態を前にするたび、

いいなあ、それ私もやりたかった、、、

という皮肉な感情がわき上がる。


そして、それが叶わなかった自分の実家を思い出して、何だったんだあれは、と何とも言えない思いになる。

思春期に何かを置き忘れてきた私を、今になり刺激される。

私はやはり親をゆるせないんだ。

そう改めて自覚して、私もまた息子にとってゆるせない親になっていることも、ちゃんと自覚し直す。

ゆるさなくていいよ、、

私は二男が蹴散らしたゴミを片付けながらため息混じりに思う。

ゆるさなくていいから、こんな親、飛び越えて行ってよ。

扉の向こうの息子に毎日思っては、ご飯を作ったりしている。



だけど、


何か大切なことを教えようとしているんだよね。
どこかでは諦めず、そんな風に思いたい。

そして早く、私もそれに気付きたい。




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