息子たちの不登校、みんなと違うことが怖かった。
不登校の子育てをしていて、親の私が心配になるのは、息子の進路が「教室のみんなと違う」ことで、この部分を私はかなり受け入れることに苦しんだけれど、それは私が無難に生きてきたからで、無難に生きながらも異端な人に憧れたり、凡庸な自分にちょっと嫌気がさしながら、いざ息子たちが無難と言えない道を歩き始めると、とたんに不安が湧き上がって焦って、突如始まった不登校ママ生活は、そんな自らの矛盾の中でしばらくあがくことになった。
異端て、メディアの中で見せてもらうものだと思っていたから。まさかわが子から、目の間で見せてもらうとは。
そして世に異端と呼ばれる存在には、特異な才能が内在するものだと思いこんでいて、代々フツーな我が家には異端な才能などナイナイナイナイと決めつけて、どれもこれもみな私の勝手な思い込みで、子供たちを何とか普通の学生に戻したかった。学校に行かないで昼夜逆転生活で親や世間を無視するとか、それ何かの才能のある人がやるやつで、うちはそういう生き方無理ですーと平凡な私は泣きながら戸惑っていた。
いまは、みんなとはちょっと違っちゃったけど、これはこれで、受け入れていけば何とかなるかもしれないな、と思っている。
特別な才能がなくても、何とかなるんじゃないかと。
そして、特別な才能って一体何なんだと、概念としての異端にふりまわされた自分を、ちょっと笑える。
そして、みんなと違うことは当たり前じゃないかとも改めて思う。
同じ人などいないし、みなそれぞれに才能があるし、みんな異端だし、人間やってるだけですごいことじゃないかと、やけに平和でへんな万能感を胸に、明日もまた学校に行かない息子たちの将来のために暮らしをコツコツ繋げようじゃないかと、普通のお母さんの私は洗濯を畳む。
明日からまた。
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