ショートショート:喫茶店のふたり
最寄り駅近くの、古びた喫茶店。古びた雰囲気だけれど、ずっとあるわけではなくて、少し前までは別の店だった喫茶店。別の店だったのだけれど、前まで何の店だったかは覚えていない。それくらい、僕の暮らしにすっかり馴染んでいる喫茶店。
「いらっしゃいませ」
カランカラン、と扉を開けると、優しい微笑みを浮かべて出迎えてくれるのがたぬき顔のマスター。「マスター」という手書きの名札の文字が、あんまり上手くないのが可愛らしい。
迎えてくれるのは、それと、もうひとり。
「また来たのか、安いコーヒーしか飲まないくせに」
店員なのであろう、キツネ顔の女性。口調も性格もキツいが、悪い人ではない。
「まあ、良いじゃないですか。今日は何になさいますか」
「いつものブレンドコーヒーで」
「かしこまりました」
マスターに注文して、いつものカウンター席に座る。おっとりしたマスターと、強気な店員さんが醸し出す不思議な雰囲気が気に入って、僕はすっかり常連客だ。
「また、たいして金にならないような注文して」
ぶつくさ文句を言いながらも、店員さんは「はい、サービス」と小皿に乗ったクッキーを出してくれた。このクッキー、キツネ顔の店員さんの手作りである。ナッツがたくさん入っていてかなりおいしい。
「お待たせいたしました」
クッキーをかじっていると、コーヒーが出てきた。マスターオリジナルのブレンドは、酸味が効いている僕好みの味だ。
「あんたはいつも出すのが遅いんだよ。なんでもっと早くできないのさ」
店員さんにぎゃんぎゃん吠えられながらも、マスターはにこにこ笑ってかわしている。
「そういえば、おふたりってご夫婦なんですか?」
ふと、気になっていることを聞いてみた。仲は良さそうだけれど、どういう関係性なのかいまいち知らないのだ。
「…おい小童、何を言う」
「小童て」
「夫婦なわけないだろう」
キツネ顔の店員さんは、心底不快そうな顔をした。そんなに嫌な質問だったのだろうか。心配になってマスターに目をやったが、相変わらずのたぬき顔で微笑んでいる。しかし、
「夫婦ではございません」
と、きっぱり答えた。
「私はね、この人を助けてやってるだけなんだよ」
「そうなんですか」
「だってこの人、何も上手くできないんだもの。前にもペットショップやら定食屋やら花屋やら、これまでいろいろやってきたけど、どれも長続きしないんだから」
「へえ、マスターっていろんなことされてたんですね」
「ええ、まあ」
コーヒー一筋みたいな雰囲気のある人だから、意外だった。とにかく、夫婦じゃないんだからね!と店員さんは念を押した。はいはい、と返事をして、コーヒーをすする。やっぱりここのブレンドはおいしい。落ち着く。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「あれ…?」
最寄り駅近くに、いつの間にか中華料理屋ができている。こんなところに中華料理屋なんてあっただろうか。
いや、そんなわけがない。
だってここは少し前まで…、
少し前まで、何だったっけ。
不思議なものだ。しょっちゅう通っている場所のはずなのに、何か変化があると、その前が何だったかすぐに忘れてしまう。
ただ、ここが中華料理屋ではなかったことだけは覚えている。
ぼんやりお店を眺めていると、突然ガラッとドアが開いて、店員さんなのだろう、チャイナドレスに身を包んだキツネ顔のお姉さんが出てきた。そして下手くそな字で書かれた「準備中」の札をひっくり返し、これまた下手くそな「営業中」に変えた。
「なんだ小童、また来たのか」
お姉さんは僕に気付いて声をかけてくる。小童、て。
「いや、僕、初めてですけど…」
そう答えつつも、どこかでこのお姉さんを見たことがある気がした。お姉さんはきょとんとした顔をしたが、
「あ、そうか」
と小さくつぶやき、
「そこ突っ立ってるか、入るか、どっちかにしな!」
と吐き捨てて店の中に入ってしまった。
「…なんだあの人」
でもちょうどおなかも空いたし、入ることにする。
「いらっしゃいませ!」
大きな中華鍋を振るいながら、「料理人」と下手な字で書いた名札をつけたたぬき顔の男性が微笑んでいる。
妙な懐かしさを覚えながら、僕はカウンター席に座った。
※フィクションです。
原作というか、原案というか、参考というか、元ネタというか。
男性ブランコさんのコント「ペットショップ」からアイデアを得たものです。誠に勝手ながら、ショートショートにしてしまいました。すみません。
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