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短編小説:Photographer

 ここに来るまで車はほとんど見かけなかったのに、駐車場は予想以上に埋まっていた。車だけでない、人も多い。走り回る子どもや、ゆっくり歩くご老人に気を付けながらなんとか車を停める。最低限の荷物を黒いコートのポケットに突っ込み、いちばん大切な荷物であるカメラを首から下げると、俺は車を降りた。
 見上げると、もう綺麗な紅葉。
 誰の邪魔にもなっていないことを確認し、俺はさっそくシャッターを切った。

 紅葉の写真が撮りたい。
 そう思って選んだのは、田舎のとある寺だった。理由はシンプル。インターネットで県内の紅葉スポットを検索したら出てきたから。
 県の中心地からは遠いし、交通アクセスも良いとは言い難い場所なので、日曜の午後でも人は少ないだろうと踏んでいたのだが。予想は大外れで、老若男女、大勢の人がいた。そしてその多くが、カメラやスマホを構えている。
 駐車場から境内へ続く階段を登りながら、頭のなかでスケジュールを組み立てる。この寺のある程度のマップは、ホームページを見て把握済みだ。受付と参拝を済ませたらどこを通ってどんな写真を撮るのか、改めて脳内で確認する。それから…、
「あ、すみません」
 考えながら歩いていると、誰かにぶつかってしまった。カメラを抱えた若い女性だ。一瞬、自分がきちんと前を向いていなかったのかと思ったが、どうやら彼女がカメラを構えたまま歩いて俺にぶつかったようだった。
 彼女は無表情で頭を下げた後も、相変わらずカメラを構えたまま歩き続けている。
 気を付けろよ、と思ったけれど、さっきまで彼女がいた場所に立ってみて少しだけ納得する。人の流れがある場所だが、そこからは建物と紅葉が良い具合に見える絶景スポットだった。
 ここで撮りたい、と思う気持ちをおさえつつ進む。良い写真は撮りたいが、人に迷惑をかけてまでというのは俺のポリシーに反する。
 所詮、素人のポリシーでしかないが。

 ゆったりと歩きながら、改めて写真を撮っている人が多いな、と思う。皆熱心にカメラやスマホを覗き込んでいる。同時に、妙な焦りを感じる。
 皆、撮った写真をどうするのだろう。
 同じ場所で、同じ時間に、同じものを撮っている人がこれだけたくさんいるのだ。ただの趣味で撮っている人もいれば、本職の人もいるかもしれない。SNSに投稿する人は何人いるのか。どんな人がどんな写真を投稿するのだろう。俺の写真は埋もれてしまわないか…。
 俺はあわてて頭を振って、忘れようとした。
 写真を撮り終える前からそんなことを考えてどうする。まずは、撮ることに集中しなきゃ。
 深呼吸して、ピントを合わせる。

 一通り写真を撮り終え、俺は境内をのんびり歩いていた。ふと、たくさんの絵馬らしきものが掛かっているのに気付いた。絵馬「らしきもの」と思ったのは、それがよくある五角形ではなく、ハート型だったからだ。見れば、「素敵な出会いがありますように」「良い縁がありますように」という願い事が大半である。知らなかっただけで、ここは縁結びや子宝に御利益のある寺らしい。
 縁結びも子宝も、今のところ俺には必要ないな。

 寺を出て、車を走らせる。
 運転しながら、帰ってからのスケジュールを組み立てる。撮った写真をチェックして、データを移して、SNSに載せるものを選んで、必要なら調整もしなくてはならない。
 しなくては「ならない」?
 どうして、義務感を感じているのだ?
 最近、こういうことがよくある。もともと俺は写真が好きだったはずだ。写真だけじゃない。旅行が好きだった。旅行のついでに写真を撮るのが好きだったんだ。
 今は…?

 だめだ。また変な考えが頭をめぐってしまう。
 一度車を止めようと思っていると、ちょうど駐車場とトイレと、小さな古い建物があるスペースを見つけた。自販機もあるようなので、コーヒーでも飲んで落ち着こう。ついでにゆっくり写真のチェックをしよう。
 車を停め、降りる。
 建物は、かつては売店か何かだったようだが、今はただの空き家のようになっている。
 その前に、自販機がふたつと、木製のベンチがふたつ…。
「こんにちは」
「あ、こんにちは」
 全然気付いていなかったが、ベンチには小さな老婆が座っていた。それと、
「にゃーん」
 老婆の足元に、可愛らしい猫が一匹。ハチワレの三毛猫ちゃんだ。
「あらー、ミーちゃん挨拶してえらいねえ」
 にこにこと笑いながら、老婆は猫に向かって言った。ミーちゃんと呼ばれた猫は、なんとなく満足そうな顔に見える。
「立派なもん持っちょんねえ」
「え?…ああ、これですか」
 老婆は俺のカメラに興味を持ったようだ。それほど立派でもない。俺みたいなやつでも手に入るくらいのものだ。
「写真家さん?」
「…いえ、趣味で」
 そう、趣味だ。あくまでもこれは俺の趣味だ。
「そうかい。こんなとこで、撮るもんはあるんかえ」
「近くのお寺に行ってきました。紅葉が綺麗なので」
「ああ、あのお寺かえ」
 ミーちゃんを撫でながら、老婆はうなずいた。
「あそこは綺麗やろ」
「ええ、ちょうど見頃でした」
「そら良かった。昔は私も見に行きよったけど、今はもう行ききらん。あそこは階段がきついけん」
 しみじみと言う。ミーちゃんはそんな老婆に寄り添っている。
「あの…、見ますか、写真」
 自分で言って、自分で驚いた。まったく無意識に出てきた言葉だった。老婆も驚いたような顔をしている。ミーちゃんは変わらず、少し眠そうな顔をしている。
「見してもらおうかな」
「小さいので、見づらいかもしれないですけど…」
 俺はおずおずと、カメラの液晶を老婆に向けた。老婆は覗き込むように俺の撮った写真を見ている。
「よう撮れちょん。綺麗やわあ」
「…ありがとうございます」
「本物の写真家さんみたいやわ」
「そんなことないです」
 そんなことない。本物の写真家になれたら、どんなに良かったことか。俺ぐらいの腕前じゃそうはいかないんだ。
「現像したら欲しいごとあるわあ」
 ありがとうねえ、と老婆は笑った。現像、か。久しぶりに聞いた気がする。最近は写真を撮ってもデータで保管するから、全然現像なんてしていない。
「こん写真、誰かに見せるん?」
「え?」
 突然尋ねられ、とっさに言葉が出なかった。
 誰に、見せる、と言われても。
 家に帰って整理して、SNSに載せるだけだ。強いて言うならばフォロワーだろうか。それとも世界中の人、だろうか。考えたことがなかった。
 答えに詰まる俺のことなど、老婆は気にしない様子で言う。
「良いもん見せてもらったわあ。ねえ、ミーちゃん」
 ミーちゃんには写真を見せていないのだが。ミーちゃんはゴロゴロとのどを鳴らしている。老婆は優しい笑みを浮かべて、ミーちゃんを撫でている。
 幸せそうだと思った。
 そして、撮りたい、と思った。
 突然、この幸せそうな様子を切り取りたいと思ってしまった。
「あの」
「ん?」
「あの…、撮っても良いですか?」
「撮る?」
「あなたと、ミーちゃんを」
 老婆はにっこり笑ってうなずいた。「私なんか撮って何になるかえ」と照れたように言いながらも、ピースサインを向けている。ミーちゃんも見事なカメラ目線だ。
「綺麗に写っちょんなあ」
 撮った写真を見せると、老婆は嬉しそうに言ってくれた。


 再び車を走らせながら、結局自販機でコーヒーを買い忘れたことに気付いた。写真のチェックもしていない。
 どんな写真を撮ったっけ。頭のなかで、今日の成果を振り返る。
『本物の写真家さんみたいやわ』
 ふと、老婆の言葉を思い出した。
 俺だって、写真家になりたかった。
 でも、なれなかった。
 コンテスト落選が続く中で、俺は「これはあくまでも趣味だ」と割り切ることにした。コンテストの応募も辞めた。その代わり、「F」という自分のイニシャルで登録しているSNSに写真をアップするようになった。
 俺の撮る風景写真は万人受けするタイプだったのか、運やタイミングが良かったのか、あっという間にフォロワーは増え、「いいね」もたくさんつくようになった。

 なんだ、これで良いじゃん。
 写真家になんてならなくても、コンテストで受賞できなくても、写真なんていくらでも見てもらえるじゃん。
 そう思っていたのに。

『こん写真、誰かに見せるん?』
 誰に見せるでもない。SNSに載せるために撮っていただけ。
 それで良かったのに。

 老婆とミーちゃんの写真を撮った。
 久しぶりに、「撮りたい」と思ったから撮った。載せるあてのない、知らない人と知らない猫の写真。「撮らなきゃ」じゃなくて「撮りたい」が沸き上がってきたのは、久しぶりだった。
 俺は現状に満足していたはずなのに。

「撮りたい」と一緒に、封印していたはずの夢まで顔を出してきたじゃないか。

 さあ、帰ったら何をしよう。
 撮った写真をチェックして、データを移して、SNSに載せるものを選んで、必要なら調整もして。
 久しぶりに「現像」してみようか。
 
 コンテストの要項、久しぶりに見てみようか。

 俺は頭のなかでスケジュールを組み立てた。





※フィクションです。
 画像は 国東くにさき市の両子寺ふたごじ

 自販機で飲み物を買おうとして、可愛らしいおばあさまとハチワレの三毛猫ちゃんに出会ったのは実話です。会話は特にしていません。

 両子寺の紅葉の写真は、Instagramにも載せています。
 私はあんまり写真が上手く撮れないので、カメラだろうがスマホだろうが、プロだろうが素人だろうが、素敵な写真が撮れる人ってうらやましいなあと思います。


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