【ある社会不適合者のつぶやき】社会のチェンジは社会不適合者からが、きっとうまくいく。
私は、シャカイジンになって10年、職場をはじめとする社会にたくさん適応できなかった人です。
発達障害グレーで規格外で、日本人男性からは恋愛対象としてみなされることがあんまりない範疇外。なんだか知らないけど陰口の対象になって、修学旅行の大部屋の布団の中で泣いたこともある。でも英語を通して国籍を超えたら、意外にも人とちゃんとつながれる経験がいっぱい待っていた。だから、わたしはより多くの私のような変人に、そういう経験をしてほしくて、今、人に英語を教える仕事をしている。
そんな私が、子どもを産んで、二人の娘達を育てる中で、最近強く感じるのが、社会の側がおかしいってことだ。
いいかい、言うよ、声を大にして。
この社会はおかしいよ!くるってる!
クレイジーなのはわたしじゃない、あんたたちの方だ!!!!
小学生にもなった子どもを安心して出歩かせることができない。なんでだ?おかしい人が、危険な人がいるから?
そうかもしれない、でも、そんな危険な人を産み出したのは誰だ?
その人達を社会的・精神的にはじき出して、そういうことしてしか自分を満たせない大人に育てたのはどこの誰だ?
その人の両親が、その人に十分に愛情を注げないぐらい余裕を無くしていた、そうさせたのはどこの経済や社会福祉政策だ?
その至らない政策をそのままにしてきたのは、どこの誰だ?
その政策を施政者として実行していれば自分は安心で、実際の民の底辺の味なんて舐めたこともない特権的生活を享受してたのはどこのどいつだ?
このおかしな社会で富裕階級にいて自分は困らないから、そのおかしさに目をつぶって放置してるのはどこの誰だ?
…おかしいんだよ!もう一回言うよ、狂ってるのはそっちの方だ!!
職場は、社会はノーマライズだよ。
私は自分の特性から、椅子の上でじっと、通常期待されるポジションで長く座っていることが大変苦痛だ。だから、椅子の上で正座したり座禅を組んだりしている。それはいくつかの職場で、変だからと正された。何で?自分の体が快適な姿勢で仕事をして、何がわるいの?
身のない体面をそんなに気にして、もっと他に考えることあるでしょう?
各人がそれぞれの特性というハンデを持ちながら、各人が最もそのパフォーマンスを発揮できる環境を整備することが、雇用者の仕事じゃないの?ひいてはそういう社会をつくるための仕事なんじゃないの?矮小級に縮こまった会社のミッションは、そういう形で被雇用者個人の身体性まで制限する。
聴覚過敏もあるんです。
ザワザワした環境の中では頭がノイズに支配されたようになっている。イヤホンしながらの仕事が、行儀悪い?ンなこと言ったって、集中できなくなるもんは集中できなくなるんだよ!私の意志とは無関係に聴覚器官がその音を鋭敏に拾い、それを記憶とかき混ぜながら私の脳内RAMを占領する。どうして、分かってくんないの?またもや、見た目の不真面目っていう、対面かよ?
この聴覚や感性の鋭敏さが感じ取っていることを、仕事に活かせたらそれは武器になる
と気付いたのは、つい最近のことだ。細かい、細かいことに、関係者すべての細かい心の機微に目が行ってしまうからこそ、動けなくなり、意見を語ればどの立場も正しいように思えるから舌はもつれ、それをブルドーザで森林を根こそぎやるような現代的論法はかくも速く、速く、論理と数値をもってして整地してゆく。
いちど整地した森林は、元に戻すのに数百年かかるというのに、目先の利便性にとらわれて私たちは未だに過ちを犯す。なんと愚かなことか!
子どもは計画的に産むものか?
私は計画とは程遠く長女を身ごもり、その運命を引き受けた。その結果、それは自分が必要以上に敏感な感性で感じ取ってしまっていたにすぎないかもしれないし、そう願うけれど、控え目に言ってすごく、肩身の狭い思いをした。
身体の成熟した人間が、異性と性的関係をもって、その結果妊娠することは、ごく普通のことじゃないの?
ある一定条件の下でしか、妊娠は祝福されないの?結婚もそうだ。その要件を満たさない妊娠・結婚は、そんなにも愛でられない世の中なんだろうか?
そんな条件付きの愛の体現そのものみたいな世の中は、息苦しい。そう、みんな思わないの?
人の子供も、自分の子供と同じように、温かい目で見守り、共に育てられる社会。そんな社会を、私は真剣に夢見ている。
そしてそんな社会は、落ちこぼれを出さない社会であり、誰のどんな特性をも排除しない社会であり、愛に満ちて創造的な社会だと思う。
忘れ物女王の蒔く種
ラベリングするわけじゃないが、私は発達障害グレーゾーンだ。自閉傾向とADHD傾向があり、忘れ物女王であり脳内ワンダーランドの脳内多動であり、喘息気味で腎虚体質な体を気の赴くままに動かし、正直身体も脳も一日を過ごすとすさまじい疲労感である。それは、英語を教えるという仕事のほかに、母親業というクラシックな仕事が加わっているという理由も大分にある。
大変そうに聞こえるかもしれないし、実際大変だが、気がそこら中に散ったところから美しい芽があちこちに萌芽する。
それを私は愛でることにした。
自分の至らなさは、他人や今の狂った社会が嫌と言うほどあげつらって責めさいなんでくれる。だったら私自身しか、わたしの最大の味方にはなってあげられないじゃない?
社会に適応できず、うつや精神疾患を患うみなさん、私もその一人です。未だにサインバルタと漢方を飲んでる。交感神経と副交感神経のバランスが、うまくとれんのです。鍼灸の先生に時々もらったりしながら、それは練習中。
だけれど、社会不適合の人というのは、私を含めて発達特性があったり、家庭で、子どもの時に、必要な分、愛を受け取ることのできなかった経験を持つ人だと思うのです。そして、そうした不成功体験を持った当事者にしか癒せない同じような境遇の人の心の傷や、当事者にしか変えられないことがある。
当事者以上に当事者の立場やその喜怒哀楽を分かってやれる人はいない。
だから、社会不適合者が社会を変えたら、誰もが生きやすく優しい社会になる。
そう信じているから、私は発達障害グレーゾーン普及啓発という活動を行い、2019年冬に見つけたADHD者の福音・英書「TIME WARRIOR」邦訳と、英語を教えるという仕事をしています。
私は、そういう人です。
どうか、となりの変な人を愛してくださいね。優しい社会を、創っていきましょう!
お読みくださり、ありがとうございました。