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「優しい」

捉え方の違い。


わたしが他人から言われて、困惑する言葉がいくつか存在する。

そのひとつが、

「優しいね。」

という言葉。

どう優しいのか、わたしには分からない。

例えば、困っている人を助けること。
それは、わたしにとって当たり前のことをやっているだけ。

だから、わたしの中では優しいわけではない。
寧ろ、わたしは薄情者だと思っている。

わたしの中で優しい人は、母だ。
母は、見知らぬ人が困っていたら助けたり、人情味が厚く、心の強い女性だった。
仕事までバリバリこなして、本当に我慢強く一人で背負う人だった。

そんな人を知っていて、育てられたわたしは自らを優しいと思わないのは自然なことだ。


けれど、

「優しいよね。」
「やっぱり優しい。笑」
「そういうお節介とか、(あなたが)当たり前に思っていることは、他人から見れば優しさって言うと思うよ?」

色んな人から優しいと言われ続けると、本当か?と疑いたくなるのもわたしの症状であり、性質なのだと思う。

それはそうかもしれない。
わたしを気持ち悪がり拒絶した人から、そのような言葉をかけられても疑わしいと思うのも自然なことだろう。

更に、「優しい人がタイプ」と言いつつある日から突如言わなくなった。
そのタイミングは、わたしのこころを突き落とすもので、非人間として生きる覚悟を持てと言う宣告だった。

その上で、

「優しいって言った意味、伝わってるでしょ?」

…全くもって、意味が分からない。
非常に意味が分からない。
頭の中では、まさに、「(こいつ、何言ってんの???)」状態。


しかし、中には「優しい」と言いつつ、こういうふうに言ってた人もいた。

「優しすぎるから、相手につけこまれちゃうんだと思う。」
「優しいんだよね、本当に。だけど、その優しさを利用する人がいるんだよね…。」

これは、わたし自身優しいと思っていなくても、相手に付け込まれていることはよく分かる。笑

甘えられる、変にプレッシャーをかけてくる、わたしがやって当然という態度を取られる…。
こういうことは、日常茶飯事だ。

これは、悪い意味合いの「優しい」と感じている。
結果的に、見下され、馬鹿にされ、こころを傷付けられ続けているのだから。

やっぱり、言葉の影響力は表裏一体なんだなと改めて感じた。


「優しい」という言葉の裏には、とても残酷な意味も隠されているのかもしれない。
そして、改めて自分と他人との認識の違いが大き過ぎて、モヤモヤしてしまう。

わたしは、そんなに優しくもなければ、大人でもない。
生きる屍なだけ。

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