「泣いていい」

感情を消したい。
感情なんて厄介なものだ。
感情は消えてしまえば良い。

わたしは、信じる人が誰もいなくなってからずっとそう思い生きてきた。

就労移行支援に通いだしても、その思いが消えることはない。
通いだしたタイミングで、わたしはある人の言葉でこころに深い傷を負った。
こんなに辛い思いをするのなら、感情を殺して無機質な人間として今後の余生を送れば良いと思った。
その方が楽だから。


外面では柔和な笑顔を作り平静を保ちながら、こころの中では
「自分はでしゃばってはならない」
「自分は感情を押し殺さないとならない。自分が感情を出すことで他人に迷惑をかける」
「自分が我慢すれば、周りの人たちも環境も悪くならないんだから我慢すればいい」
だから、とにかく何でもかんでも耐える、我慢し続けることを頑張ってきた。

勿論、感情もそう。
わたしは、良くも悪くも素直らしいので周りの人たちからは見透かされていたかもしれない。
けれど、わたしなりに圧し殺して平静を努めることだけ考えてきた。
(勿論、様々なことには果敢に挑戦し続けている)

そうすることが、わたしを守る為に必要なことだった。
それはきっと、幼い頃から染み付いているものだ。


だけど、ある人からは、

「そうやって我慢してしまうことは、自分を守ってきたことなんだろうね。それがあってもいい。でも、一人で抱え込む必要はない。辛ければ辛いって言っていいんだよ。それは甘えじゃない。」

また、ある人からは、

「平気なふりしてない?無理してない?自分の感情は殺さなくていいんだよ。泣きたい時はちゃんと泣いていいんだから、泣いて」

他にも、

「我慢しすぎて、知らず知らず無理し過ぎてポキっと折れてしまわないか心配」


感情を消したいと思うことは、間違っていることなのだろうか。

いや、間違ってないかもしれない。

けれど、感情を圧し殺すことで、わたしの中のわたしが辛くなってしまうのかもしれない。
もしかしたら、そこも見越して色んな言葉をかけてくださっているのかもしれない。


ああ、もしかしたら、やっぱりわたしはわたしに対して刃を剥いているのかもしれない。
もう少し、わたしの中のわたしを労ってあげたらいいのかもしれない。


気持ちが落ちてしまったら、それでいい。
無理に前向きになろうとせず、辛い気持ちに蓋をせずその気持ちを出し切ってしまおう。
そうすれば、もしかしたら、わたしの中で何か変わるのかもしれない。


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