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自我2(無意識)

前回自我についてお話しした。

(前回記事https://note.com/2929nqnq/n/n47273653894c


自我とは端的に言えば

複数から構成される『私である』という感覚である。


前回は例えば「完全主義な私」を例に出したが、

実は自我の面白い面はまだある。



自我は「完全主義な私」「自分を責める私」といった

言語で説明できるものも自我というが


言語で説明できないものも自我と定義される。




例えば、


「なんか胸がもやもやした感じ」


「灰色のドロドロとしたイメージ」


「なんか肩に力が入る感じ」


「身体がギュッと縮こまる感覚」


「パッと明るく輝く光の映像」


「過去あの時あの場面、あの人といた時の記憶」


といった、

言語ではなんとも説明し難いものも

自我と定義されるのである。




この言語にはなりづらい感覚的な面の

自我が面白いのは、


こちらの自我はより無意識や潜在意識との

つながりが強いということである。



言語以前からのサインとも言えるのだろう。

(病にもサインという意味合いが多分にあると思う)



これらのなんとも言葉にならない感覚に

アクセスしていくとその本人もビックリするような

メッセージが明るみになっていくことがある。


気づいたらその本人も大笑いしていたり、

泣いていたり、時には激しい怒りを表出することもある。


さらには、

人によって、舞をはじめる人や、

イメージの中で先祖に再会する人、


不思議なメッセージを受け取る人、


さらには結果として

前世記憶としてしか考えられない

記憶と再会できたりすることもある。



あまりに不思議で

僕自身も驚くことが本当に多い。



言語以前の自我に注目すると、

普段意識していない“わたし”に再会できるのかもしれない。


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