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”出会い”は一生もの

子供の所属する野球チームの3年生を送る会があった。
暑い夏に甲子園を目標に頑張った3年間が終わった勇姿たち。

僕の子供はまだ一年生なので、親としての今日の会は裏方作業で参加した。

ベンチを並べて最後の記念撮影。
その影に見覚えのある先生の顔があった。

「今は顧問だから、あまり普段顔を出さないんだ」

彼は、僕が高校生の時の野球部の監督だった。

27年ぶりの再会。
こんな再会ってあるんだな。
人生は、ほんとうに不思議だ。

小、中、高校、と約10年間野球漬けだった僕の生活は今でも野球を通じてこんな出会いを僕に与えてくれる。

監督は今は監督ではない。
しかし、僕にとっては監督だ。
まわりの人に聞かれても遠慮はいらない。僕は彼を”監督”と呼ぶ。

僕は帽子を取り、「監督!わかりますか?お久しぶりです!」と急な質問を投げかけた。

監督はしばらく記憶を過去に戻しているようだ。
数秒経ち「うーん。何となく知ってる記憶が‥。何年前だ?」

「27年前です!」と答える。

先生という職業はすごい。
監督の頭はカレンダーを捲るようにその当時の記憶を巻き戻していく。正確に。

「27年前というと、僕はあそこの高校にいた時だな。誰々部長と一緒にやってたなぁ。えーと、その当時の子供は○○と○○と‥」

正確だった。それもほんの数分ではっきりした答えが返ってくる。それも27年前の記憶だ。

当時のメンバーは上下と比べて最低年の人数6人だけで、最後の夏の大会は2年生の力を借りなければ9人埋まらない状況だった。

そして監督は振り返る。「○○と、〇〇がいる時だなぁ。そうだろう?」

「監督ー。。あとひとりいますよ!」

「えっ?そうか?まさか、その思い出せない最後のひとりが君か?!」

ショックだとは思わなかったけど、監督はその後にしっかりと僕の名前を思いだせた。
27年前の記憶を辿り、27年前のメンバー一人ひとりの名前を久しぶりに口に出す事で、記憶も蘇ったようだ。

記憶にはキーワードが必要らしい。
27年前の記憶の箱を開けるキーワード。キーワードは”鍵”となる。

”鍵”を一度開けた”監督”の箱は次々と27年前の”記憶”の中身を取り出す。

「ああー。あの時の年は雑誌”number”の取材が来た年だったなぁ。特集ページは6ページもあった。あんな事はあの時以来2度となかった。」

監督の開けた”箱”の中身に乗じて、僕の記憶の”箱”もパカパカと開いていく。

「そうそう。そうでしたね。部員の中から写真写りが良さそうな人を3人選ぶと言って、皆んな緊張して練習したのを覚えています。僕は外れましたけど。」

雑誌”number”の取材なんて、僕たちには全く関わりの無いものだと思っていた。
人生とは分からないものだ。予想のつかないことが、ふと起こる。

その当時はラジオの取材もきた。
夏の甲子園を目指す球児たちを特集したラジオ番組で、各高校をランダムに巡回しているものだった。
なぜか僕ともう一人の部員の普段の話の掛け合いが面白い。ということで、ふたりで取材を受けた。実際に放送はされなかったけど、新鮮な経験だった。

この監督は僕が膝を怪我してなかなか治らない時に自腹をきって鍼治療やら、色々僕を病院に連れていってくれた。
「高校野球はねぇ、実質2年と少しだけの期間しかないんだ。怪我をしている暇なんてない。勿体無いんだ。」そう言う、そんな監督だった。

監督は指導と体罰の問題を深刻な話し方で僕に説明をした。

指導方法は時代と共に変わる。頑固に昭和で育った固い監督には切実な問題だという話をしていた。

「(そういえば僕も当時監督からケツバットもらったもんなぁ)」

小さい記憶の箱がまた”パカッ”と開いた。

監督は今年でもう顧問は終わりだろう。と言っていた。
子供と野球を通じて会えたこのタイミングは怖いぐらい偶然だった。

監督との話は途切れない。
僕以外の野球部員の現在の話をする。懐かしい。
何れも、僕と一緒。子供の野球観戦をしていて球場で監督と会っていた。

面白いものだ。野球をやっている、もしくはやらせていれば、その当時の野球仲間に会える現実。

野球はもはや人をつなぐスポーツにまで発展している。それも遡り、タイムマシーンに乗ったように過去の話に浸かり、過去の自分に戻れる。

監督と話をしている自分は、高校生の時の僕に戻っている。
生気がみなぎっていた。
監督もそうだろう。監督だって記憶と一緒に27年前に戻っている。

僕たちは27年前に向き合っていて
27年経った今、ここでまた向き合っている。

2枚だけのページを捲っては、またもとに戻す。
あの頃の僕たちはどこへいったのだろう。
会って再認識する。
あの頃はちゃんとあった。
高校生の自分もちゃんといた。

当時の部長とも未だ連絡はとっているそう。
監督よりも若かった部長も既に退職し、今は教育施設に再雇用で働いているそうだ。

教育者とは神経を使う。
真面目過ぎると持たないと言っていた。
20年経った今でも過去の出来事を掘り出す無神経な輩もいるという。
いいことばかりではない世の中。

それは何年、何十年経っても変わらない。

僕ら子供だった大人は気付く。
教育者や指導者がいてはじめて一人前に成長した過程のこと。
先生は人を育てる為には必ず必要だ、ということ。
大人になった今でも監督に言いたい。

あの時のように”教えてください!”と。

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