『思うにこれは文章ではなく、ただの単語の羅列である。』
もしも願いが叶うなら、誰の願いも叶わぬように。
夜に祈った私の心は、治される発想を持たなかった。シュレッダーを通っていたなら、つなぎ合わせられなくもない。手で汚く千切られたから、もうどうにも戻らない。
すでに手遅れ、だったらいいじゃん貸してよ。誰に言われたわけじゃないが、いつもどこかから聞こえてくる。そのたびに私は心に漂う紙片のうち小さくて目立たない、それ以上裂かれる可能性の低いところにうずくまる。それなのに一度獲物に据えられたが最後、意地悪な声は責め立てるのをやめないで、目を閉じても耳をふさいでも、紙片の漂う場所まで届いて来た。あざけりながら脅かすように、一つ一つひっくり返しては引きちぎる。乾いた濁音が鳴り響くたび、古傷が記憶をたどる。
それが飽きたのを何とか待って、私はようやく呼吸する。ゆっくりと開けた瞳に捉えたのは闇であり、つまりは何も捉えていない。しばらく、光というものを見ていない。
星が出ないこの夜は、全く最近の私をよく映している。感心に似た共感という久しぶりの安堵を携えて、暗い部屋に立ち上がる。深く吸い込んだ空気は不穏な色のわりに何の匂いもしないで、ただの風となって体をめぐる。えぐられないから心地いい。紙片は楽しげに舞い上がって、こすれて小さな音を立てる。これは喜びの合図であり、悲しみの先にあるものだ。
そんなところで私は性懲りもなく雨を渇望する。この心をつなぐには、きっと雨しかありえない。濁流に溺れてもいいから、それでも水こそが人間だから。
もしも頬を伝う涙が、スコールのようであったなら。心の紙片を押し流して、側溝の壁にでも貼り付けただろう。けれどもその無様な物質は紙であり、一人前なのである。欠片じゃ成しえないことが、いくらでもできてしまうのである。皆が当たり前に持っている、それの劣等品であったとしても。
しかし、このささやかで大それた望みの先に私が紡ぐのは「だから」ではない。いつだってそれは「だけど」なのだ。だけど。だけど顎から零れ落ちるのは雫であり、心は四半人前以下の欠片なのだ。つまり、少しの勇気を溜める入れ物すらない風穴だらけの私は八方ふさがりに陥っていて、あるいは結束のない紙屑の集合体はその外側を包むように絡みつく鎖に繋ぎ止められ、散ることさえ許されない。
私は言葉が下手くそだ。何をどの順番で言うべきか、これっぽちもわかっていないらしい。遣る瀬なくも逃れがたい絶望が目の前を通りかかったところで、それに向かって遅すぎた言葉を訥々と告げる。
だから。だから、もしも願いが叶うなら、誰の願いも叶わぬように。
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