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BTSの「Life Goes On」を聴いたら『帰り道』が恋しくなった話
テレビ番組やwebニュースで「この1年で世界が180度変わってしまった」という表現を目にすることがある。
確かに、そうかもしれない。けれど、なんだかいつも違和感を感じてしまう。
変わったこともきっとあるのだろう。例えば、私たちはこの1年で、いわゆる"一人遊び"が上手くなった。
友人と深夜まで騒いでいた飲み会は、好みのつまみとお酒を嗜む自分だけの時間へ。
現地でのスポーツ観戦は、ボタン1つで始まるオンライン観戦に。
都内の映画館まで行かずとも、サブスクサービスで過去の作品を楽しんで。
お洒落なスイーツは、ショーウィンドウではなくオンラインショップのメニュー一覧から選ぶ。
出張してまで出向いた大事な会議は、今や家から一歩も出ずパソコンさえあれば参加できるようになった。
毎日同じことの繰り返しでつまらない、とぼやいていた春の気持ちは、雪解けのようにゆっくりとほぐれてきたように思う。この生活が数ヶ月で終わるものではないと察知し始めてからは特に、少しずつではあるけれど、家での楽しみ方を試行錯誤し、決して無理にではなく心から楽しめるよう、適応してきたのかもしれない。
昨年10月、心待ちにしていたアーティストのオンラインコンサートが開催された。
それはもう想像の何倍も何十倍も楽しくて、1分1秒余すことなく幸せな時間だった。
視聴者数も、コメント数も、ハートの数も、見たことないくらいの数字を叩き出していた。満員の東京ドームの何倍になるのだろう。ああ、今この瞬間に彼らのパフォーマンスを観て、同じ音楽を感じて楽しんでいる人たちが世界中にこんなにいるのかと思うと、舞台に立っているわけでもないのに、背中がぞくりとする感覚も覚えたほどだ。
音源でしか聞いたことのない曲がリアルタイムでパフォーマンスされていることの尊さを感じながら、2日間のコンサートはあっという間に幕を閉じた。
コンサートは終了しました、の文字を確認してから、一息ついてパソコンを閉じる。
すると、その後、これまで感じたことのないような、途方もない虚無感に襲われた。
つい数分前まで何万人もの人と幸せを共有していたはずなのに、急に独りぼっちの砂漠に放り出されてしまったような、底知れない寂しさ。
代わり映えのない毎日の中でずっと楽しみにしていたコンサートなのだから、そりゃあ終わってしまったら寂しい気持ちにもなるだろう。当たり前だ。そう思って、どうにか日々をやり過ごしていた。
それから約2週間後、巨人が、47度目のリーグ優勝を決めた。これは、私にとって一大イベントだ。昨年は無観客試合を経て、人数や観戦ルールを徹底した上でという条件付きではあるものの、何度か現地での観戦も叶った。けれどその日は、いつも通り自宅でゆったりと観戦していた。恒例の"ビールかけ"がないことを知り、仕方なく冷蔵庫の奥の方にあったビールを1缶開けた。ああ、今年も色々あったけれど、大きな事故もなく野球を観られて、本当に良かった。2年連続のリーグ優勝なんていつぶりだろう。そんなことを思いながら、画面越しに喜ぶ選手たちを見て、素直に嬉しい気持ちでいっぱいになった。
でも、テレビをパチンと消した後、やはり、とてつもない虚無感に襲われた。
あのコンサートの日と同じだな、と思った。
こんなにも満たされ、幸せな時間であるはずなのに、大きな寂しさややるせなさを感じるのはなぜだろう。
そのとき、ふと、気づいた。
そうか、私たちには今「帰り道」がないんだ、と。
好きなアーティストのコンサート終了後。
今までであれば、アンコールの興奮も冷めやらぬまま、帰りの電車の中で、あの曲が良かった、あそこのダンスが最高だった、いや、あの会場のセトリも聴いてみたかった……なんてことを話しながら帰っていたのではないだろうか。
それだけでは足りないものだから、お腹を空かせた私たちは近くのレストランに入って、ドリンクバーをオーダーしつつ、白熱した議論を続けたに違いない。
優勝が決まる大事なスポーツの試合を現地で観戦した後。
テンションは最高潮。現地で知らない人とハイタッチしたり、今年最後のグッズを買い込んだり、スタジアムの外でタオルを広げて記念写真を撮ったり。
帰り道には馴染みの飲み屋に寄って、今年1年の試合を振り返りながら、まるで自分たちが優勝したかのように勝利の美酒に酔い痴れていただろう。
ああでもない、こうでもない、と話した後は、
「それじゃ、また明日」「また今度ね」
と約束を交わし、手を振ってそれぞれの帰路につく。
明日は仕事か、早起きするのは少し面倒くさいな……と思いながらも、カタンコトンと規則的な電車の音、イヤホンから聴こえるラジオの声、混雑したタクシー乗り場を経て、冷たい空気に触れながら微かに見える星空を見上げたりして、1日を思い返し、幸せを噛みしめて、記憶に刻んでいたのだろう。
人はつくづく、欲張りな生き物だ。
誰かと一緒にいられるのが普通だった頃は、もう少し一人の静かな時間が欲しい、なんて思ったりもした。付き合いで行く飲み会ほど、苦痛なものはなかった。
でも、今やそれすらも恋しくなることが、たまにある。
私たちは、確かに"一人遊び"が上手くなったのかもしれないけれど、その反面、やはり誰かと分かち合う時間というものが恋しくなってはいないだろうか。
何もかも普通だったあの頃は、わからなかったんだ。
毎日億劫だった「帰り道」が、どれだけ尊いものだったかなんて。
ほのかに上気した頬を冷ましながら、夜桜を見上げて歩く、春の小道。
残業帰りに額に滲む汗を感じながら、蝉の鳴き声を聴く、夏の夜道。
カフェで読んだエッセイの一節を思い出しながら歩く、金木犀の秋の路。
手編みのマフラーを巻いて、ポケットに入った温いカイロに頼る冬の星道。
私は、そんな「帰り道」が恋しい。
大切なこと、忘れたくないこと、心に留めておきたいこと。1つずつ思い返して、整理する。歩きながらぼうっとそんなことを考えていると、ああ、明日の朝食は目玉焼きトーストにしようと思ったり、新しいアイデアがぽんと浮かんだり、好奇心に心が動かされ、ふと昔の夢を思い出したりもする。
そのために必要なのが「帰り道」という時間であり、場所だった。
On my pillow, on my table
Yeah life goes on
Like this again
久しぶりに残業で帰りが遅くなった日の夜、空を見上げながら、BTSの「Life Goes On」を聴いていたら、あの日の"帰り道"をもう一度、やり直してみたくなった。
どこかの誰かと、たった少しでもいい。
楽しかったこと、幸せに感じたこと、未来のこと。プラスのパワーを生み出すようなあたたかな言葉を交わしたい。
独りぼっちでいることに、慣れないように。
帰り道に感じていた幸せの余韻を、忘れないでいたい。
幸せを分かち合えれば、その言葉はもっとずっと、時には言霊みたいに大きくなって、より多くの人の共感を呼んだりして、どこかの誰かを救えるくらい、大きな大きなパワーになるかもしれない。
確かに変わったことがあるように、変わらないことがあってもいいじゃないか。変わってしまったことは、ただ嘆くのではなくまた新たに作り出したっていいはずだ。
これからはもう少し意識して、"帰り道の時間”を作ろう。好きなことやものを瞬間的に感じるのではなく、立ち止まり、言葉で表現し、共有し、心から味わう時間を増やしてみよう。これまでと同じように。
Like an echo in the forest
Like an arrow in the blue sky
Life Goes On
まだもう少し、この日々は続きそうだから。
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