私とあなたが見てる色〜コンプレックスを個性と思えるまで
水玉が円の中にいっぱい詰まった図を見せられて、「この中になにか見える?」と聞かれる。その問いに「わからない」と答える経験を小学校のころからしてきた。低学年のころは犬など動物の形、中学年からは数字が見えるのが普通。でも私にはただただグチャグチャの水玉の塊にしか見えない。ときどき見えるのもあったが、多分それは赤と緑の区別を調べるものではなかったのだろう。そう、私は赤緑色弱なのだ。今は「あなたはこれが見えますか?」というクイズみたいなものとしてネットなどで見受けられるけど、昔は学校の身体検査のときにときどきこのテストを受けさせられた。調べたらわが国では2003年度以降、学校での色覚検査は必須でなくなったらしい。
低学年のときはちょっと悲しかった。なんのためにそれを見せられているのかもわからないし、なにが見えれば正しいのかもわからない。しかも、見えない自分は良い子なのか悪い子なのか、頑張れば見えるようになるのか、その答えもない。先生はいつも「あれ、見えない?あ、そう、ハイハイ」って感じでそそくさとその検査を終えてしまうのだ。私以外の子はなにが見えているのかわからず不思議だった。しかも私は内気な子だったので、それがどういうことなのか先生や友達に聞くこともできないでいた。
高学年になって健康手帳に「赤緑色弱」と書かれているのを見たとき、ああそうか、と納得した。どうやって調べたのか全く記憶にないけれど、それが遺伝で発生するということもわかった。当時母にそのことについて聞いてみたことがある。そのとき「お父さんもそうだった」と母は言った。「でも、信号の色はわかるから車の運転はできたわね」と。私と同じだと思った。私も日常生活では全く色についての支障がない。信号もわかる、絵を描いていてもちゃんと色の区別がつく。ただ、あの春の新学期の身体検査の水玉の図の中に浮き出てくるものがわからないだけだった。
さらに成長して詳しく調べてみると、父親に色覚異常の遺伝子がある場合、子供が男だと発生しやすいらしいとわかった。では、女である私に発生したということはよりによってレアなケース?そして、母親に発生したらほぼその子供にも遺伝するらしい。もし私が将来子供を持ったらその子は同じように色弱になる。自分と同じつらさを味合わせることになるなんてかわいそう。大げさだけど、思春期の女の子にとってはちょっとした絶望だった。
小さい頃から絵を描くのが好きだった私は図工も美術も成績は良かった。就いた職業は、色とは切り離せない百貨店の婦人服の販売。その間、色について全く不自由を感じたことはなかった。けれど、私の頭の片隅には自分が色弱だというコンプレックスがいつもちょこんと正座してるみたいな感覚があった。それほど、あの小学校の色覚検査がトラウマみたいに心に巣食っていたんだと思う。先生がもう少しきちんと向き合って対応してくれていたら、と今になって思う。
しかしその後私はそのコンプレックスから解放されることになる。百貨店で働きながら専門学校でインテリアの勉強をしていたときのこと、授業で先生が「瞳の色が違うと色の見え方が違う」ということをおっしゃった。その時は半信半疑だったけど。
その後のインテリアコーディネーター資格の更新の研修のとき(昔はいちいち研修があって作文まで書かされた)、講師の方があるホテルの施工例を採り上げて「茶色い瞳でコーディネートしたこの色使いは私たち日本人には真似できない」と説明をされた。そんなに何度も聞く機会があるほど、瞳の色によって色の見え方って違うの?そのデザイナーが見てる色が私たちが見てる色と違うならカラーコーディネートってなに?その組み合わせは一つじゃないってこと?黒い瞳、青い瞳、緑の瞳、茶色の瞳、見る人それぞれで違うってこと?正解はないってこと?
そして私ははたと気がついた。同じ日本人であっても色の見え方はみんな同じじゃないかもしれないって。
隣にいる人の見ている色は自分にはわからない。相手の目からの情報をこちらの脳に直接繋いで交換できる技術ががいつか実用化されるまでは。そもそも形だって同じ見え方を共有してるかどうか定かじゃない。そう考えたとき、自分の色の見え方が他人と違うのならそれは個性ってことにしたっていいんじゃないかって思えた。私は私の見え方でやっていけばいいんじゃない?って。そしてそう思うことで、私はようやく色弱というコンプレックスから解放されたのだ。その後インテリアや建築の設計デザインの仕事に就いたが、私はなんのためらいもなく自分の色使いを提案し、施主に喜んでいただけた。そしてその後、再び婦人服の販売の仕事をしていて「あなたのコーディネートがとても好き」とお客様から言われたときも、心の底から嬉しかった。
私にはひとり息子がいる。妊娠が分かったときも育児中も、わが子がが色弱かどうかなんて思い出しもしなかった。そのころはすでに私の中から色弱という言葉はすっかり消えていた。でも、もうずいぶん前のある日のこと。息子がテレビ画面に繋いで戦争のゲームをしていた。軍服の色が敵と味方でグリーンとオレンジに分かれていて、画面全体に何人も兵士が現れたとき「色が同じに見えて敵と味方の区別がつかん!」と言った。そうか、やっぱりこの子もそうだったかと、そのとき初めて気がついた。かつてはあれほど気に病んでいた将来のわが子の色覚異常。なのに実際はわが子が高校生になるまで思い出すこともせずにいたなんて。
「実は私も」と話をした。「遺伝なんだよね、ごめんね」。そう言うと、息子は「まあ、みんながみんな同じようにに見えてるかどうかなんて、わかんないしな」と言った。そして「人と違った見え方の方がかっこいいかも」って。私が何年もかけてたどり着いた答えを、自然に身につけていた息子をちょっと羨ましくもあり頼もしくもあった。そういう息子には周りの色や形が、どんなふうに見えているんだろう。それもまた私にはわからない。
私や息子の色弱なんて実にささやかなものだ。けれどそのことは、人はみな同じではないという大事なことを教えてくれている。自分に対しても他人に対しても、違いを「個」として尊重できること。そのための術として私たちに与えられたものなのではないかと思っている(大げさ)。
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