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昭和を語る〜CAROL、ジョニー、そして永ちゃんの思い出

「永ちゃん」と言ったらもう、誰が何と言おうと矢沢永吉しかいません。
今日、永ちゃんのライブのことを綴られたnoteを拝見して、感動して、自分の永ちゃんの思い出が甦りました。

私が永ちゃんを初めて知ったのは、中学校のとき。
当時はまだCAROLのメンバーでした。
CAROL、めちゃくちゃカッコよかった!
メンバーは
矢沢永吉(ベース・ボーカル)
ジョニー大倉(ギター・ボーカル)
内海利勝(ギター・ボーカル)
ユウ岡崎(ドラムス)
1972年結成 1975年解散
リーゼントに革ジャンという出立ちで、ロックンロールを演奏する。

というと何だかおっかないイメージだけど、CAROLというバンド名はクリスマスキャロルからの発想というくらいだから、かっこいいけどすごくお洒落。
歌詞の中に英語が混じるっていうのも当時では新鮮だった気がする。
代表曲は何でしょう。
「ファンキー・モンキー・ベイビー」とか「ルイジアンナ」あたりが有名だけど、私は「ヘイ・タクシー」とか「涙のテディボーイ」が可愛くて大好き。
実は私はこのころはいかにもリーダーって感じの押しの強い永ちゃんより、少年のように繊細で危なっかしいイメージのジョニーの方が好きでした。

CAROLの存在を知ったときにはすでに解散が決まっていて、コンサート(そのころはライブなんて言葉はなかった)に友人を誘ったら「そんなの行くなら吉本のがいい」って言われて、ちょっと友情にひびが入りました。でも当時の吉本新喜劇の人気は半端なかったから仕方なかったのかも。
そしてラストコンサートで火事を出しながら、CAROLは解散しました。
言葉通り燃え尽きた感じ。

解散後、永ちゃんもジョニーもソロ活動を始め、私はなけなしのお小遣いで彼らのレコードを買いました。
ジョニーは引き続きCAROLのころみたいに、お茶目でお洒落なイメージ。
永ちゃんはそこから今に至るまでロックンロールの王道を突っ走ることになります。


永ちゃんのレコードにはステッカーが付いていました。
例の「E・YAZAWA」のやつ。
高校生になっていた私は、早速学生カバンにペタリ!
知ってる?昭和の高校生の革の学生カバン。
マチの部分の厚みは不要、お湯で革を締めてぺちゃんこにします。
下敷きしか入らないほどに薄っぺらく完成したカバン、そしてそこにE・YAZAWAのステッカー!
それを携えて嬉々として登校した私。
担任の先生が私のカバンを見つけておっしゃいました。
「おお!お前も谷沢のファンか!」

先生、違うそっちじゃないよ〜。
先生は中日ドラゴンズの谷沢健一選手のファンでした。
教室中に渦巻く笑い。
そのころ、まさか永ちゃんがこんな大御所になるなんて思ってもみなかったなあ。もちろんすでに大物感はあったけど

懐かしの学生カバン
とっておけばよかった
好きな英語の教科書は薄かったので入れていた
あとはしれっとロッカー管理

そして初めての就職活動。
私は地元のデパートを受けたのですが、その面接試験のときのこと。
担当のおじさんが聞く。
「好きな歌手とかいるの?」
「あっ、矢沢永吉さんが好きです!」
言ってからちょっと「しまった」って思った。
今でこそ天下の矢沢だけど当時は相変わらずのリーゼント、革ジャンは脱ぎ捨てたものの真っ白のスーツ、あんまりお上品とは言えない。
でも、おじさん
「永ちゃんだね!」
って力強く言ってから、ちょっと笑った気がした。

私は無事にそのデパートに合格。
しばらくしてから会社の球技大会かなんかのときに、面接のときのおじさんを見かけました。
おじさんは実は人事部長でした。
そして、日差しが強いグラウンドで、すっごくカッコよくサングラスをかけていたのでした。
デザインの呼び名がわからないけど、そのころいわゆるツッパリ(死語)がかけてたみたいなやつ(検索したらキャッツアイって出てきたけどそんな呼び方してたかなあ…)。
まあとにかく、あ、この人なら永ちゃんのこと好きだったかもね、って納得しちゃった私でした。


人事部長のサングラス

CAROLを知ってから何十年、いや半世紀…(驚愕)
永ちゃんは今もなおロックンローラーの、いや、エンタメ界の先頭に立って突っ走って多くの人を幸せにしている。
もう存在自体が人を救っている。
すごい。
残念ながらジョニーはもうこの世にはいない。
でも、彼もまた今でもその歌声で私たちを幸せにしてくれている。

歌声とパフォーマンスとそして色々な思い出で、わたしたちの人生を彩ってくれて、本当に感謝しかない。
いやー、音楽っていいですね♪


#思い出の曲

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