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"普通"ってなんだ?広報PRパーソンだからこそ向き合いたい「価値観」と「多様性」
みなさんにとっての”普通”とはなんですか?
逆に、"普通"ではないコト・モノとはなんですが?
現代、目まぐるしく変化する「価値観」や「多様性」への考え方について、自身はどこまで理解できているのか。ふと、そんなことを思い、noteを綴りました。
本noteは、広報Slackコミュニティ「#PRFunho」の年末企画 #PRFunho Advent Calendar 2023 、12月13日の記事です。
改めてまして、こんにちは!株式会社ラフールの大澤です。
早速ですが、最近エンタメに触れていますか?本、漫画、音楽、テレビ、スポーツ、ゲーム、レジャーなど、エンタメとは人が楽しむコンテンツのことを指しますが、2023年は特に邦画の当たり年だったなと個人的に感じています。特に「価値観」「多様性」を題材にした邦画が私はブッ刺さりまして、人として、社会人として、広報・PRを生業にしている身として、とても感銘を受けた作品を3つ紹介します。
今から紹介する作品は、ざっと要約すると「"普通"ってなんだよ?」「自分が見聞きしている情報が全て正しいと思うなよ?」と、グサグサと心に突き刺してくる内容です。痛々しく聞こえますが、人としてのスタンス、考え方を見つめ直す良いきっかけとなりました。なぜか?
広報やPRを生業にする上で、物事に対しては前提条件を疑う必要がある、加えて、自身と異なる価値観を持つ他者からこそ今まで見えていなかった新しい発見が得られると感じていたからです。
※以降少しネタバレ含みますので、ご容赦ください。
① 怪物
「万引き家族」でカンヌ国際映画祭パルムドールを受賞した是枝裕和監督が、映画「花束みたいな恋をした」やテレビドラマ「大豆田とわ子と三人の元夫」などで人気の脚本家・坂元裕二氏によるオリジナル脚本で描くヒューマンドラマです。第76回カンヌ国際映画祭にて「脚本賞」「クィア・パルム賞」を受賞したことも記憶に新しいですね。
怪物 だーれだ
映画「怪物」は、いわゆる「羅生門」構造を持った作品です。「羅生門」とは、黒澤明氏の代表作のひとつで1950年の映画であり、ある殺人について「被害者」「被害者の妻」「加害者の盗賊」の三者三様の視点から描いている。つまり「羅生門」構造とは、同じ出来事を複数の視点から描くストーリーです。
「怪物」では、子どもたちの諍いが、息子を溺愛するシングルマザー、担任の学校教師、そして当人たちの3つの視点で描かれており、それぞの主張が交錯し、誰もが正気の沙汰とは思えない「怪物」に見えてしまいます。しかし、ラストに向けてどんどん伏線が回収される。といった内容です。
脚本家・坂元裕二氏が本作の着想のきっかけとなったあるエピソードがあります。
本作の着想のきっかけは、私が以前経験したことが一つあります。車を運転している時に起きたことです。赤信号で、前のトラックが止まっていたので私も止まったんですね。その信号が青に変わったのに、前のトラックが動こうとしない。しばらく待っても前のトラックが動かないものですから、軽くクラクションを鳴らしたんです。それでも動かないので、どうしたんだろうと思っていると、そのトラックがやがて動き出して立ち去ると、横断歩道に車椅子の方がいらっしゃいました。私にはトラックで、車椅子の方が見えなかったのですが、私はクラクションを鳴らしてしまった。そのことをずっと後悔していて、私たちには生きている上で、見えていないものがある、それを理解していく上ではどうすればいいのか、そんなことを物語にしたいと常々思っていました
映画を見た後に、上記が掲載されている取材記事を読んだのですが、心の中で「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」と叫んでいました。自分が見えていない、聞いていない事実なんて山ほどある。しかし、それでも自分が見聞きした物事が真実だと捉えてしまいがち。人の性なのでしょうか。だからこそ、時には前提条件を疑う必要があるし、なるほど!こういう考えもあるよな!うんうん!と、相容れない考えも、まずは一度受け入れてみることってめちゃ大事だよなと痛感した一作でした。
② 正欲
第34回柴田錬三郎賞を受賞した朝井リョウ原作のベストセラー小説を、稲垣吾郎と新垣結衣の共演で映画化。「あゝ、荒野」の監督・岸善幸と脚本家・港岳彦氏が再タッグを組み、家庭環境、性的指向、容姿などさまざまな“選べない”背景を持つ人々の人生が、ある事件をきっかけに交差する姿を描いています。
観る前の自分には戻れない
価値観を良い意味でぐちゃぐちゃにされ、とても余韻が残った作品でした。元々原作を読んでいて、以下の本の紹介文が気になりすぎて手に取ったのを覚えています。
自分が想像できる多様性だけ礼賛して、秩序整えた気になって、そりゃ気持ちいいよな。
(個人的な好みの問題ですが、原作の前半部分はあまりスラスラ読めなかったので映画を観ていただいたほうがわかりやすいかもしれません笑)
性的マイノリティをもつ者同士が、生きづらい世の中で協力し、やっと出会えた喜びを噛み締めながら嗜好を喜び分かち合う。しかし、それらは"普通"ではないと意図も簡単に世の中から突っぱねられてしまう。ざっとそんな内容です。
現代において「価値観」や「多様性」という言葉を見聞きする機会は多いと思います。この本、映画を観て感じたのは、私自身「価値観」や「多様性」を理解した"つもり"になっていたことでした。正確に言うと、理解している自分って寛容だろ?感を出したかっただけなのかもしれません。やはりどこかで"普通"に捉われていて、"普通"から逸れないようにしていた。浅はかで恥ずかしくなりました。
率直に、他人の気持ちに寄り添う、わかるようになりたい。というのはエゴであって、自己満足なのかなと感じました。決して理解はしなくてもいいと思うけれど、自分の中での"普通"から逸れていることに対して、共感できないから、理解できないからと拒絶するのではなく、なぜ共感できないのか?理解できないのか?を考えてみると、これからの世界は少し変わって見えてきそう。いろんな「価値観」や「多様性」があるんだということを知っておく必要はある、と思わせてくれた作品でした。
③ 福田村事件
「A」「A2」「i 新聞記者ドキュメント」など、数々の社会派ドキュメンタリー作品を手がけてきた森達也氏が自身初の劇映画作品として、関東大震災直後の混乱の中で実際に起こった虐殺事件・福田村事件を題材にメガホンを取ったドラマです。
流言飛語
流言飛語とは、事実とは異なる伝聞。確かな根拠のないうわさ。と言う意味の熟語です。本作品の大きなキーワードになります。
1923年関東大震災が発生。未曾有の災害による混乱に乗じて飛び交ったのは、「朝鮮人が集団で襲ってくる」「朝鮮人が放火をした」などの流言。いつの間にかこの流言はメディアを通して「事実」として報道され、関東地方に戒厳令がしかれたことにより、軍や警察は朝鮮人をはじめ、中国人や社会主義を唱える日本人に対しても厳しい取り締りを行った。「朝鮮人らに襲われるかもしれない」と怯えた民衆もまた、政府の呼びかけに応じて各地で自警団を組織。数千人もの朝鮮人や中国人、日本人が虐殺されたとされています。
そして地震発生から5日後、事件は千葉県東葛飾郡福田村の利根川沿いで起きました。香川県の被差別部落から来た薬売りの行商団15人が、讃岐弁で話していたことから朝鮮人と決めつけられ、子どもや妊婦を含む9人が地元の自警団に襲われ殺害された。震災後の流言飛語に惑わされ、平凡な生活を営む善良な村の人びとが「加害者」に変わっていく過程が、生々しく描かれている。それが「福田村事件」です。
個は善良でも、ある条件が重なって個が「集団」になったとき、人を変えてしまう構造が様々な角度から描かれており、「集団」という要素について森達也氏は以下のように語っています。
人は不安や恐怖を刺激されたとき、同質でまとまりたいという欲求が高まります。そうなると、連帯を強めるために異質なものを排除しようとする。この場合の異質とは、極論すれば何でもいいんです。肌や目の色でも、言語でも、あるいは宗教でも。そうやって異なる集団同士が敵対し、さらに恐れが増していくと『やられる前にやれ』という過剰防衛の論理がはたらき、虐殺や戦争が起きてしまう。悪意などないままに、善人が善人をあやめる。関東大震災の朝鮮人虐殺に限らず、人類の歴史はこの過ちを繰り返しています。だからこそ、僕たちは負の歴史を知らなくてはならない
どうでしょう?思い当たる節はありませんか?
私はとても心当たりがあります。自分自身が当事者としてやってしまっていたこともあれば、「集団」となって、一個人に心ない言葉をぶつける光景も多く目にしてきました。
メディアだけではなく、個人の情報発信力も高まっている情報過多の現代において、情報を多面的に捉える意識と、発言には責任を持たなければいけない意識を持ち合わせる必要があるなと強く感じます。情報の危うさに対して、もっともっと配慮していきたいですね。
加えて、冒頭の話に戻りますが、斜に構えるいう意味だけでなく、しっかりと情報を精査するためにも、前提条件を疑う観点はより必要になってくると思いました。
本作は、時の政治権力に迎合したジャーナリズムの姿も痛烈に描いていて、当時、唯一の情報伝達機関だった新聞メディア。権力を監視するという本来の役割を見失い、朝鮮人たちの暴動というフェイクニュースを広める立場になってしまったことに意義を唱える若い記者と、会社を守る立場にある編集長が激しく対立する。メディアのあるべき姿について考えさせられるこのシーンも個人的には考えさせられるパートでした。
広報やPRという職種柄、様々な"人"が関わり、意見や考えをまとめどう折衷案として落とし込むか、一つの発信に対してどんな見られ方をされるのか、常に想像力を働かせなければいけません。
「価値観」や「多様性」が複雑化する現代において、理解できないことも当然あると思います。その時は、理解できないからと拒絶するのではなく、なぜ理解できないのか?を考え、理解はできなくでも、一度受け止めて、"知る"ことはできるはずです。そうすると今まで見えてこなかった解が見えくるのだろうなと思っています。
広報・PRの職種問わず、スキル以上に土台となる人間力が、30代、40代、延いては50代、60代の仕事には活きてくるのだろうなと感じています。私は20代の時に上記三作品を観てもなにも感じなかった気がします(笑)。今30代となってこれらの作品に出会えたことは転機だと思いますし、また5年、10年後に観たら感じ方が変わっていそうで今から楽しみです。
以上、3作品のご紹介でした!
機会がありましたら是非観ていただけますと幸いです!そして感想を言い合いたいです笑
映画「正欲」、とても良かった。
— おーさわ|広報PR (@n_o_health_c) December 3, 2023
自分の中での"普通"から逸れていることに対して、共感できないから、理解できないからと拒絶するのではなく、なぜ共感できないのか?理解できないのか?を考えてみると、これからの世界は少し変わって見えてきそう。
価値観・多様性の意味の深さよ。 pic.twitter.com/OEOu6ybVoe
事実はひとつでも、真実は人の数だけ存在する。映画「怪物」脚本の着想は坂元裕二さんのご自身の経験から。世の中見えてないことが大半だという前提で、事象に対しては俯瞰的に受け止められると良さそう。 pic.twitter.com/poD7sgSrO2
— おーさわ|広報PR (@n_o_health_c) June 10, 2023
福田村事件はポストし忘れてました。もう一回観てポストしようっ。