優しさにまみれて
最終出勤日まで残り10日となった。
引き継ぎもあるし繁忙期なのもあってバタバタと仕事のために手を動かしていると、上司が突然、
「あのさ、手を動かしたままでいいから耳だけ傾けて聞いてくれない?俺の独り言みたいなものだと思って欲しいんだけどさ」
と不思議な前置きをして話し始めた。
言われた通りに私は、手を止めずに耳だけ傾ける。
「次の会社に決めたのは良いことだと思うし、頑張らなきゃいけないと思うんだけどね。
でももしさ、すごい辛かったり、仕事が思ってたのと違くて嫌だなって思ったりしたらさ、
遠慮なく出戻ってきていいんだからね。
俺はウェルカムだし、〇〇さんもきっと良いって言うと思う。」
そう言って上司は、私の隣にいる〇〇さん(私にとって先輩に当たる)の目をじっと見た。
〇〇さんは「田舎のお父さんみたい」と上司の言動に対して笑ったあと、
「戻ってきてもいいけど、honoちゃんのこと考えたらきちんとそこで頑張ることも大事だと思うよ」と言った。
今の会社で1番にお世話になった、1番に一緒に過ごした時間が長い2人に言われたその台詞たちは、
どちらも重みがあって、私にとって大切な言葉になった。
そしてこの時間も、絶対に忘れたくないと思った。
上司と先輩、2人にはそれぞれの厳しさと優しさがあって、その2種類の方向性は時々別の方向を向いてしまって揉めることもあったけれど、
そのどちらもが、間違いではないといつも思っていた。
どちらの味方にもなり過ぎず、部下として後輩として一歩引いて見ている立場にしかなれない私だったけれど、
2人にはそれぞれの正義があるだけで正解も間違いも無いのだと信じて付いていくしか無かった。
去っていく私に対する2人の言い分は今回もまた違うけれど、
どちらも共通して、優しく、私の背中を押して応援してくれている。
優しさにまみれたこの場所で働いていたこと。
部下や後輩にこんな風に言える人になりたいと思ったこと。
この2つは事実は、形に残らなくても私の財産になった。