238:宗教 スーフィズム
日曜日は宗教を学びます🤔
スーフィズム
従来のイスラム教がクルアーン(コーラン)の語句を非常に重視していたことへの反動として起こった運動をいう
この運動の担い手たちはのちにスーフィーと呼ばれ
彼らはクルアーンの字面ではなくその精神を大事にすべきだと訴えた
9世紀以降に生じたイスラム教の世俗化・形式化を批判する改革運動であり、修行によって自我を滅却し、忘我の恍惚の中での神との神秘的合一を究極的な目標とする、一種の内面化運動である(wikipediaより)
スーフィー
イスラム教にはふたつの側面があると考える
ひとつは外面的な側面で
例えば正しい行為をすることがこれに当たる
もうひとつは内面的な側面で
スーフィーはイスラム教を個人的な信仰だと思っている
単に正しいことをすればいいのではなく
正しい心構えを持つことを重視するのだ
スーフィーの理想
スーフィーが理想とするのは
敬虔で徳の高い生涯を送ったムハンマド(570頃~632)だ
どのスーフィーもムハンマドを精一杯模倣しようと努力するが
中にはもっと高い目標を掲げ
ムハンマドが神の啓示を受けることが出来たのと同等の
心の平安状態に到達しようとするスーフィーもいる
スーフィーの始まり
最初にスーフィー教団が生まれたのは
ムハンマドの死後で教団の指導者たちは
ムハンマドの生涯と彼が家族や友人たちに
どのように接していたかについての話をし始めた
こうした話は人々の信仰心を高め語り手は人々の支持を集めた
今でも多くの教団が活動している
女奴隷ラービアの話
スーフィーがよく例に挙げるのがラービアという女性の話だ
8世紀に実在した女奴隷で、信仰心があまりにも強かったため
それに感化された主人が彼女を解放したほどだった
ラービアは神に向かって
もし私が地獄を恐れるがゆえに神を愛するなら
天国へ行くのを拒否されるべきだと言ったという
スーフィーは神との純粋な合一を目指すのである
おわりに
神との神秘的な合一とはかなり深い教団だ
信仰心があついとここまで行くのだろう
神と我われ人間は別物と考えがちだが
そこと合一していこうとするなんて究極的すぎるように感じる
それぞれの考えや信仰心があって良いと思うが
宗教の怖いところはそれがすべての正義だとし
それ以外は悪としてしまうところ
それぞれ純粋な信仰心だけでよいはずなの
そこがなんだか残念な部分だと思います
宗教だけでなくお互いを尊重し認め合える世の中であればなと思います
今日はここまで!
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