30年
明るいはずの時間に暗いこんな日は、一つ古い話でもしましょうか…
忘れていた古い話を思い出したのは、初夏の子どもとの雑談がきっかけ。
「高校ってどうやって選ぶんだろ」と子どもが言い出した。
私は答えた。
「いちばん行きたかったのは、中学のときに通ってた天文講座してる高校。そこの天文部に入りたかった」
それで話は終わるはずだった。が、終わらない。
子どもは「その本この間、読んだ」と言った。話は思いがけない展開へ。
子どもが図書室で借りた文庫本に、中学生の頃に通った高校の天文講座~その高校の天文部、という話の流れがあった様子。
なので私が「講座の後に晴れてると、天文部の人が観望会してくれてね」と言うと。「そうそう。屋上にドームのがあるんでしょ?」と、話したことのない話で会話が成立してしまった。
ウケる気分もあったが、なかなかに複雑な気分だった。私はその本を読まないことにして忘れていたというのに、子どもは読んでいたらしい。
私が高校1年の頃だったか、その天文講座~天文部という設定の文庫本は出版されていた。書名も著者名も既に記憶にない古い話。
その設定モデルは私とのことだった。
ただ、その主人公が私に似ている訳ではない、との話は、当時の天文部員さんから聞いていた。
私は、その私立高には合格していたが、実際には他に合格していた公立高への進学になった。公立高に受かっておいて、助成のない時代に私立に行かせてもらえる人は、周りにもいなかった頃のこと。
当時の天文部員さんには「絶対来ると思ってたのに」と言われた。
私も残念に思っていた。
なので、「モデルなんてすごいね」と言ってもらえても、嫌な気分でしかなかった。似てないとは言われても、ストーリーが現実と関係なさそうでも、読む気にはならなかった。
その本は、自分が行きたかった高校に行けていたストーリー。リアルに高校生の時点で読むというのは無理だった。その後もそのまま忘れていた話。
その話も本も古いもの。
子どもが読んだ本と同じとは思われない年月が経っている。
30年を超えた。
その天文講座は子ども向けではなかった。が、初心者向けに、天文学に関わる著名な人たちが月1で講演してくださっていたもの。内容が一巡したように感じた、私が高校生の途中から通わなくなった。
当時の天文部・特別顧問と書かれていたのだったか、磯部琇三さんを講座の際によくお見掛けした。
磯部さんの訃報は、何年か前にニュースで見かけた。天文学の普及に尽力された方だと思う。部の名前も、天文学部だったようにも思う。お世話になった感謝とともに、時の移ろいを感じた。
年月が経過するうちに、いろいろなことが始まりもしているのだろうが、私の古い話は、磯部さんの訃報に触れて、改めて終了と感じた。
が…
ヒトという生物はいつか死ぬものでも、話はどこかに残るらしい。
何だか謎な影響を残しながら生きていることを実感してしまった。
古い話とはいえ、今も現役らしいお話。
ただの中学生だった私をどこかで知っていた著者さんは、天文学の普及に関わる磯部さんなど、その頃の様子を知っていたに違いない。子どもが読んだ本の著者さんと、同じかどうかまでは知らないが。
そんなことを感じたので、見出し画像には、気軽に撮った月の写真を入れた。一昨年の秋の皆既月食。
機材は、普段から使っている小さなデジカメと、子どもの小さな「君もガリレオ」望遠鏡を載せた、夫のカメラの三脚。
カメラと望遠鏡を接続しない、お気軽過ぎるコリメート撮影。
カメラは手持ち。接眼レンズから少し離れて、望遠鏡内に浮かぶ月を撮った。
どこにいるのかわからない、おばけを撮っている気分になった。
最後にもう1枚、そのときの写真を載せておきましょうか。
おかげ様で天文学は今も身近です。
古い話を書いたこのnoteも、過去形ではなく現在形で終了にします。