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科博の自然教育園+生きている茶室

心地良く晴れた先週末、自然教育園と、隣接する庭園美術館の庭園へ家族と行った。

自然教育園は、今年の紅葉を見る場所として夫が選んだ行き先。私もずっと気になりつつ行ったことがなかった場所で、楽しみにしていた。

センリョウ@路傍植物園

赤い実は、センリョウだけではなくマンリョウもあったり、たくさん見かけたように思う。センリョウの赤さは、冬の柔らかい日差しの中でよく目立っていた。

自然教育園の入口は一つ。まず、入口に近い路傍植物園から、ほぼ真っ直ぐのルートで水生植物園まで行った。

いろいろな葉が混じった落ち葉も、冬の日差しできれいだった
青空と秋色の葉
ひょうたん池の近くでは、傾いた日の光で不思議な影が差し込んでいた
「物語の松」のそばの紅葉
水生植物園そばの紅葉。透過光で赤が鮮やかだった

水生植物園では、ダイサギが、かなりの近さでも無警戒にのんびりと動いていた。写真を見ると、嘴に透過光があるように見える。硬く分厚いものかと思っていたが、どうも光が通る薄さのようだ。

鳥は他の種類も見かけた。夫はカワセミの写真が撮れていた。

水生植物園を1周し、2回目に通った場所のススキ
透過光の紅葉は、もう一度撮ってみた

水鳥の沼のそばでは、高木のムクロジの黄葉も見られた。はらはらと落葉しているのも見かけた。

水鳥の沼から見た黄葉
水鳥の沼から館跡への途中

上の写真は吉祥草キチジョウソウ。葉に隠れるような小さな花。めったに咲かない花で、咲くとその家に吉事が、といういわれがあるらしい。そんな説明書きもあった。路傍植物園でも見られた。

ここでは毎年咲くとも書かれていた。
ありがたみが薄い、とか言うところではないだろう。(ちらりと思ってしまったが)
戦災などの災禍なく、ここで毎年咲いているということなのだから、それは充分に吉事だと思うし、それを見られた自分も幸せだと思った。

災禍なくと書いたが、台風被害での倒伏など、倒れた木も見かけた。ここは自然教育園で、公園でも庭園でもなく博物館。ヒトに危なくないなら、そのままを保存する場所なのだと思う。

昔の屋敷・庭園の面影も保存されている。土塁など地下にも保存されている。が、見えるのは、地上に堆積している時間の地層。ゆくゆくはそのまま地層に変化するのかもしれない。

園内はたくさん歩いたが、夫は武蔵野植物園には向かわず、庭園美術館の庭園へ行くことにしたようだった。

サクラの黄葉。桜紅葉という言葉もあるらしい。
赤に変化する途中なのか@庭園入口付近

私が、庭園美術館へも行きたい、と言った記憶はある。が、時間が足りないのではないかと思い、私は何も下調べしていなかった。今日の予定は、夫の気分が優先の日。

どうやら、茶室「光華こうか」の秋の特別公開中に行けたらしい。
普段は広間までは入れないようだが、お茶の道具や茶花、掛け軸などのある広間にも上がらせていただけた。紅葉が美しく見える場所だからだろうか。窓からの秋の景色は美しかった。

茶室内からの日本庭園

茶室というと、もう少し閉鎖的な狭さを感じる気がするが、窓からの光も心地良い開放的な空間だった。
重要文化財という記載を見かけた。が、何だか、ついさっきまでお茶していたような空間なのが、何度も気になっていた。

茶花

床の間には、ヒペリカムのような赤い実と、椿のような白い蕾が、茶花として活けられていた。庭園のどこかで見られる植物なのだろう。

横には、ボンボニエールのような小さな和風の焼き物。その下には、お正月のような華やかさを感じる、縁が赤い懐紙。

お正月にはまだ早いが、紅白で何だかおめでたい室礼と感じながら眺めた。

前日はお祝いの場になっていたのだろうか。帰宅後に調べると、前日の茶室は非公開日。イベントが開催されていたらしい。

お茶席があったのだろう前日の雰囲気が、そのまま残っていた、ということではありそうだ。貴重な茶室のようだが、茶室として生きていることを感じられる空間だった、ということらしい。

それは更に、貴重な体験をさせていただいた気がした。

広間に展示されていた茶道具
大きく透明な窓ガラスは、少しムラがあり古さを感じた
斜陽が差し込む広間

写真はないが、自然教育園のそばでも、庭園美術館の庭園でも、イチョウの黄葉が美しかった。たくさんの葉が舞っていた。庭園では、黄色い葉が雨のようにたくさん降っているのも見た。下にいた小さな子たちは、とても楽しそうだった。

とても穏やかに晴れた中、心地良く過ごした秋のお散歩。