読了「祝祭と予感」
もう一冊、先日の子どもの用事ついでに、学校の図書室から借りていた本を読み終えた。
私からは縁遠い音楽の世界。音楽自体は多くの人に身近だろう。が、国際コンクールに優勝するとかのハイレベルな世界だったり、私は昔から聴かないクラシックの世界でもあったり。
だが、意外と身近な感じで楽しんだ。
ハイレベルだろうがトップレベルだろうが、人がいろいろな思いで楽器を奏でることで起きることは意外と身近。ギャップのある人間味ある面白さを楽しんだ本。
いろいろなストーリーがどことなく繋がっている短編集だった。実際の世の中も、どことなくいろいろな関係が影響し合って繋がっているものだろう。そんな意味でも、意外と身近な感覚で楽しんだ。
縁遠いのは楽器もそうだった。ピアノやヴィオラなど、私が親しむようになったエレクトーンからは遠い。
エレクトーンを弾くなら繊細さも必要だったりするが、楽器自体に生き物のような繊細さはない。
とてもメカメカしいブレないデジタル制御のマシンだと思う。音も設定次第だが、オルガンテイスト抜きにシャープに鳴るのが基本。
別な用のときに学校で借りて帰ったものか、男の子がピアノの調律師へ育っていく本を読んだことがある。そのときにも思ったこと。
「エレクトーンって何か物足りないのか?」
チラッと気になり、思わずエレクトーンを見てしまった。
以前の読後は実際にエレクトーンを弾いた。
「物足りないなんてことない。私に合ってる」と思った。
今回は、以前の読書のときほどには疑わなかったらしい。弾かなくても否定できる。エレクトーンは私の大切な友だち。
あとは。調律師に育つ本を読んだときより、もう少しストーリーを身近に感じられたのは、エレクトーンにハマったおかげだと思った。自分の変化も感じた本。
エレクトーンに育てられている私は、昔より確実に、音楽を身体感覚で深く楽しむようになっている。
本の中の身体感覚がわかるとは全く言わないが、以前より少し理解できるようになったと感じた。
音楽は、昔から私なりに楽しんできたものの、音楽性も感情もいろいろと欠けた私には、苦手感や遠慮感が付きまとっていた。
エレクトーンは身体全体で音の流れに合わせて弾く楽器。なので、まだ弾けないタイミングなら自ずから、身体の奥へ音とリズムをインストールする感覚で聴いていた。
エレクトーンを弾くとき、身体全体のタイミングをコントロールするのは、背骨に沿った背中のどこか。頭ではタイミングが揃わない。背中のその辺りまで音楽を取り込む感覚。
今なら、おとなしく聴くのではなく踊る。
身体に音を取り込んで身体感覚としても楽しむ。
エレクトーンを弾くときだけではなく、ライブで気に入った音に包まれ、音が身体にも浸透してくる感じは、身体感覚としても心地良いことを知った。
本の中のレベル感、世界観には遠い私だが、音楽を深く楽しむ人の感覚を以前よりは楽しんだ。
ネタバレはしたくないので、内容と繋がる話はこの辺で終了。
本を借りたときの話など、図書室の話を書いておきましょうか。
借りる一冊をどれにしようか悩んでます。
というような話を、話しかけてきた司書さんに言うと、一冊と言わず何冊でも、というお返事。思わず舞い上がる心地だった。
が、すぐに… ビミョーな状態の肋骨保護のため、荷物を減らして出てきたことに気づいた。1冊なら予定していた範囲だが、2冊では荷物を減らした意味はないというか、普段の荷物より重い。
…悩んだ結果。もっと借りたい気持ちを抑えて2冊借り、慎重に持ち歩いて帰った。
学校の図書室は新しめの本が多いのか、ぱっと見でも興味をひく楽しそうな本が多い。棚のごく一部しか見ていないというのに、あっという間に何冊も借りたい気分だった。ステキな図書室。通学していない大人なのが残念。
自分が子どもの頃、司書は学校の図書室にいただろうか。本も古めかしい感じだったような。
高校には司書がいた。仲良くしていた記憶もある。部活の都合優先で図書委員経験はないというのに、さっさと顔を憶えられ、好みも把握されていた。
長野まゆみ著書が好きとか、科学雑誌「Newton」の最新号を集中して室内で読んでいるとか。
司書と…
それが好きならこれも面白いかも?という話になったり。
雑誌の最新号は届いてるけどまだ並べられないから、読みたいならこっちで読んで、と呼んでもらえたり。
室内も目が行き届いた雰囲気にどんどん変わった。
学校の図書室に司書がいるということは、図書室がステキな場所になるということ。
その頃の世間一般には、司書がいる学校の図書室を好評とは、まだ確定していない様子だった。が、私は良さを実感できていた。
今の学校の図書室はこんなに楽しい場所なのかと、行く度に嬉しく感じる。世代の違う子ども目線でも楽しい選書かは判断できないが、静けさを強制されることもない、気楽な穏やかな空間。子どもたちも和やかな雰囲気。
この「祝祭と予感」を借りたのは私が一人目らしい。
一つだけ貸出期限票に日付印が押されている。
とりあえず一つでも押されれば、次の誰かが借りるときのハードルは下がるだろう。
…と、また誰かが読むことを勝手に楽しみにしている。