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【意訳】デヴィッド・オストロフスキー:Think Harder

※英語の勉強のためにざっくりと翻訳された文章であり、誤訳や誤解が含まれている可能性が高い旨をご留意ください。
もし間違いを発見された場合は、お手数ですが 山田はじめ のTwitterアカウントへご指摘を頂けると助かります。

Soure: http://www.brooklynrail.org/2014/06/art/think-harder-an-exchange-between-david-ostrowski-and-alex-bacon

THINK HARDER  An exchange between DAVID OSTROWSKI and Alex Bacon

New YorkのOKOで開かれていたDavid Ostrowskiの小さな個展がちょうど終了した。彼の情感に溢れた絵画が見たいなら、ベルリンのPeres Projectsでの個展が6月21日までオープンしている。

David Ostrowski, Das Goldene Scheiss, March 9 - April 15, 2014. Installation view, Almine Rech Gallery, Paris © David Ostrowski. Photo: Rebecca Fanuele. Courtesy of the Artist and Almine Rech Gallery, Paris / Brussels.

Alex Bacon (Rail): あなたは何に興味を持ち、絵画に何を託していますか?
メディウムに何か特別な愛着を持っているんでしょうか?それに画家としてどんな基準から描く手を止めて、作品の完成を見極めているんでしょう?もしかして、なにかルールがあるんですか?

David Ostrowski: スタジオを出発する前までは色々考えていたんですけど、僕は絵の事に関しても忘れっぽいから。。。でもスタジオからここに来るまでの間、メディウムの事についてはじっくりと考えてましたよ。
僕は大した技術を持ってませんが、それでも絵を描くと前向きな気持ちになります。俺はロマンチックな画家だから、画面上では沢山のドラマが起こっているんです。
制作した絵画は自分自身に似ていますね。いつも空虚で、感情豊かで、自殺願望を持っている感じです。

Rail: 作品を作り始めたきっかけは何でしょう?また、ここ数年の作風に到ったきっかけと、どうやってそれを獲得していったのか教えてくれますか。

Ostrowski: 俺の母は歌手と女優をやっていて、父は彫刻家、祖父は作家でした。子供のころはいつも絵を描いてましたね。こう聞くと、僕がアーティストになる最高の環境に産まれたと思うでしょうけど、悲しい事に僕はすぐに具象画の限界にぶち当たってしまいました。
具象画に関してはもう特に言いたい事や議論したい事は残ってません。

僕の作風は絵画史の延長線上にある作品から理解不能な作品へと、何となく自然な流れで移行していったんですが、それは何か新しいものを創ろうというチャレンジ精神によって起きた変化だったと思います。
その新しい"何か"をちゃんと理解できている訳では無いけれど、少なくとも僕はかなり上手いこと現在の作風を習得して、意外性のある制作スタイルを自分のモノにする事ができました。
僕にとって絵画とは、無意味の中から意味を見つけ出すための行為です。簡単に理解できてしまうことにはあまり興味が無くて、、、というよりも、理解力が無いんですよね。

Rail: 現代において、絵画はどんな立場に落ち着くと思っていますか?
この手の議論は数十年間ほど美術批評の表舞台から姿を消していたけれど、
現代はまた、絵画は描かれるべきか否か?絵画に可能性はあるか否か?
という圧力を受けて再浮上してきた様に思います。

Ostrowski: 絵画は死んでも毎回生まれ変わってますよね。定期的に話題が浮き沈みする状況を人工的に作り出す事は、人間の叡智の一つだと思います。

僕は絵画の本質がメディウムを通じて追究されていくことの面白さを信じてますよ。よく知恵は傷つかないなんて言われますけど、そもそも僕達が何を知ってるって言うんでしょうね?

Rail: メディウムに目を向けた場合、あなたの絵画は破壊的でしょうか、構築的でしょうか?
また、芸術や文化は一般的にどちら側に属していると思いますか?

David Ostrowski, Emotional Paintings, May 2 - June 21, 2014. Installation view, Peres Projects, Berlin. © David Ostrowski. Photo: Hans-Georg Gaul. Courtesy of the Artist and Peres Projects, Berlin.

Ostrowski: 僕の絵画で僕自身が楽しめないようでは意味がないと思います。そんな理由から美しい絵ができる場合だってあるんです。絵画はときに自分自身をも驚かせる、ぶっ飛んだモノであるべきです。

決してバカみたいな絵を描いたり、画面が死んでしまう描き方をする訳にはいかない。でも作品というものは間違いなく作者の精神状態に左右される。 だから僕は、いつもワクワクしていようと心がけていますよ。

Rail: 作品が納得の行く絵画として成立する為の最低条件は何だと考えていますか? また、あなたが制作プランを考えている時や実際に描いている時、その最低条件を考慮しながら描くことが重要だったりはしますか?

Ostrowski: 僕はそんなことよりも、良い作品をつくるには何が必要か?という考え方に興味があります。僕は画家で、良い絵を描くことが仕事ですから。
スタジオはたまに実験室と化して、絵画にまつわる全ての疑問が分析される場所になります。そして毎日の生活における休息が、それらの問いをスタジオに持ち込むかどうかのフィルターになってくれる。
完成した作品はあくまでも"提案"であり、僕の品質検査を通過し、合格した後に展示されている、という感じです。

Rail: あなたはどういった経緯で今使っている画材や描き方を選択したんでしょうか?例えばスプレーペイント、ラッカー塗料、木製の枠などを使っていますが。

Ostrowski: 僕は最もシンプルでお金のかからない画材を使っているだけですよ。既に情報でがんじがらめになってる様な画材とは違うものを選んでいます。僕は油絵具で描くのを辞めることで、あり余るほどの可能性を手に入れました。
でも一方で、スプレーペイントはできる事が強制的に制限されます。
ラッカー塗料は素早く描く必要があるし、修正する事はほぼ不可能だから、途中でプランAからプランBに変更する、みたいな方向転換もできません。
画面を塗り潰すなんて論外ですね、ラッカー塗料で塗るには無理がありますから。

絵画は最初の一撃こそが重要なんです。それに比べたら、技巧を尽くした作品は過大評価されていると思いますよ。

Rail: フレーミングをどう考えているかについて話したいんですが、良いですか?あなたはなぜ全ての作品に木枠をつけているんでしょうか?

Ostrowski: 描いている線も単純ですけど、フレームも見た目通りのシンプルなベースボードで出来てます。ベースボードは生活の中でよく目にするモノでもありますよね。フレームを付けてない、そのままの絵画は画面のコントロールを失いがちなんです。
僕はフレームに関するアイディアをいろいろと実験してみたんですが、酷いドローイングでも格好良いフレームの中に収めれば良い感じに見えることを発見したんです。むしろ良いフレームに良いドローイングを収めようとする方が、工夫が必要になるんです。

つまり、2つの素材を組み合わせた時点で、もうそれ以上何も必要ない状態になるんです。
だから尚更、ほんの僅かでも変更を加えようとする場合にはそれを崩さないための正しい決断が必要になってくるんですね。

僕のアウトライン・ペインティングのシリーズは正にそんな作品です。絵画のエッジにある隙間や色はとてつもなく重要なんです。

Rail: 一般的な話になりますが、あなたの制作手法を私達に説明してくれませんか?どうやって作品の着想を得ているんでしょう?幾つかの作品は間違いなく沢山のレイヤーを持っていて、色んな種類の素材を組合わせています。他のミニマリストが作るような単純でさり気ない、記号的な作品なら理解しやすいんですが。。。

Ostrowski: 僕はいつも頭の中で、2つのネオンサインをスタジオに飾っている妄想をします。1つは"Surprise"(驚き)で、驚きを感じた瞬間に灯りが付く。残念ながらネオンは常に光っている訳ではないから、いつも今日こそは点灯させてやろうとトライし続けています。

もう一つのネオンサインは"Think Harder"(熟考せよ)です。
でも実際には、自分の思考回路がぶっ壊れてる事について文句なんて言ってられませんから。それに、考える事と最終的にどんな作品ができるかは全く違う問題ですし。
だから僕としてはもうひとつのネオンサイン、"Let Loose"(気楽に行こう)も必要だと思ってますね。

素材は単に目的達成の為の手段に過ぎません、ほとんど何も無い状態から作品を作るための。

Rail: 制作する上で描く速度や失敗に関するルールは何かありますか?

Ostrowski: あり得ない様な線を引くために素早く描くのも好きだし、同じくらいミスを誘発する描き方も好きですね。画家としては単純な技術というか、原始的なアイデアだけど、右利きの人が左手を使っているつもりでぎこち無く描く感じです。絶えず自分自身で意識的に腕を操作してみるんです。
僕はいつだって何かを崩したいと思ってますが、それは緩いコントロールによって画面に緊張感を生み出す為なんです。

僕は自己抑制については達人ですが、どうやって準備したり構成したか、この完成した作品はどうやって描いたのか、といったことのほとんどを忘れてしまいます。
逆にいえば、スタジオではそんな自分を減速させているのかも。僕はとにかくスタジオいる全ての時間を、何かを探求することに費やして過ごしてますが、失敗ってのは何か新しいものを作る為のチャンスなんですよ。

僕が好きなのは、使いたいと思った時にすぐ使える道具ですね。
それに少し前、ドローイングを辞めてスケッチを描いてた時にも、現在も使っているような画材が画面に緩いコントロールをもたらしたり、失敗を誘発してくれました。

僕にとって世界や人生とは失敗そのものなんです。それでも世界の隅っこには美しい場所もあるし、人生もたまには楽しむことができる、、、たまにですけどね!

Rail: 展示方法や、建築空間と作品を調和させる事にどれくらい意識を割いていますか?例えば最近のOKOでの展示ではものすごく狭い感覚で絵画が掛けられていて、展示空間よりも絵画の表面積が多いくらいでしたが。

David Ostrowski, “F (Rom),” 2013. Lacquer and cotton on canvas, wood, 241 × 191 cm. © David Ostrowski. Photo: Ben Hermanni. Courtesy of the Artist and Simon Lee Gallery, London / Hong Kong.

Ostrowski: 僕の作品にとって展示方法を考える事は、 いわば舞台の第二幕みたいなものですね。途中で帰ってしまうのと同じ様に、作品をつくるだけで展示空間について考えないなんて、あまりにも勿体無い。

それに絵画や展示のタイトルを決める事も、招待状のデザインを決めるのと同じくらい重要ですよ。
難しい作品に素晴らしいタイトルをつける時間が無いほど人生は短くないはずです。ネーミングは混乱を引き起こすためではなく、むしろ言葉と実態の間にあるバランスを見つけるために行うんです。
僕の親父は、"お前が痛みを感じるって事は、誰かがスネを蹴ってるんだ。"といつも言っていました。

僕は展示空間の図面なんて見たくないし、自分の展示手法を更新したいとも思ってません。それでも展示空間に行けば、いつもそうせざるをえない、、、いや、僕が空間に対するコンセプトを全然持ってないからこそ、毎回展示プランを一から考える必要があるのかも知れませんね。
例えば今ベルリンでやってる僕の個展では、鑑賞者は展示手法を更新することが今回の僕のコンセプトの1つだと思うかも知れません。

天井から吊るされた4枚の4×3.5mの絵画が、天井と床、どちらにもほんの数センチの隙間しかない状態で展示されてますけど、本当の事を言うと Cologneにある僕のスタジオでは、天井と床の間には1.5mぐらいは余裕があるはずだと思って作っていたんですよね。
OKOでの個展でも、僕は人がいる状態の展示空間を見た事がなかったんですが、それでも部屋が狭い事がわかる写真だけは見ていたので、甘く見ているつもりはなかったんですが、、、。
現場を見ずに大きな3つの作品の展示プランを立てたことで、オフィスルームへのアクセスが完全に遮断されてしまいましたね。
作品を小さくする事はできたし、全部の作品を凄く小さくしたとしても、なんとか美しい展示にできたはずだ、とは思いますけど。

Rail: あなたのプレスリリースや本のプロジェクトか察するに、あなたはことばに興味を示しているように見えます。その好奇心はどのようにして芽生えたんでしょうか?またあなたの絵画、または広くアートにとって、言語感覚はどのような役割を担っているんでしょうか?

Ostrowski: 僕の作品は僕そのものなんです。自分の事なら何でもすぐに描いたり話したりできる、、、 そんな瞬間だけ、僕は本当の意味で生きているんだと実感できます。それは描いている時だけでなく言葉にする時も同じです。僕にとって全ては大きな絵画の一部に過ぎません。本当の問題はそれで何をするのかって事なんです。

Rail: ことばだけでなく、様々な本を制作する事で、あなたは何を成し遂げようとしているんでしょうか?そして、あなたの作家活動との関係性はどう考えればいいのでしょうか。全ては絵画の為の実験なんですか?

Ostrowski: そういったものは全て一つに繋がっていると考えています。沢山ある僕の本はまだ発行されてませんが、僕の足フェチについて描いた本や、去年のArt Basel Miami Beachでのプレゼンに関連した、作品解説説の本があります。あなたがもしこれらの本を面白いと思ってくれるなら、あなたにもカタログやアーティストブックを作ってもらうしか無い、と思ってるんですけど。単にあなたがそれをできる立場にいるからって理由だけで言ってるんじゃないですよ。

Rail: あなたは自分の中で美術批評をどう位置付けていますか?あなたの絵画の美しさが適切に評価されるとき、どう感じますか?また批評を読むことで人々があなたの作品の素材や制作行程、展示方法により敏感になる事を歓迎しますか?

David Ostrowski, Outline Paintings June 1 - June 1, 2013. Installation view, Peres Projects, Cologne  © David Ostrowski. Photo: Ben Hermanni Courtesy of the Artist and Peres Projects, Berlin.

Ostrowski: 鑑賞者が僕の作品が良い"理由"に沢山気付いてくれるのは嬉しいけれど、僕が特に好きなのは、"この作品は良い"って事に気付いてもらえる瞬間です。僕は自分が楽しむ為だけに絵を描いてる訳じゃないですから。スタジオにいるときは常に何かやっているけど、恐らく今後も自分が本当は何をやってるのか決して理解できないだろう、と思います。
もし僕が絵画に関して何か具体的なコンセプトを持っていたとしたら、僕は今頃きっと Jerry Saltz (有名な美術批評家)と呼ばれていた事でしょうね。

Rail: あなたは自分の作品を見た鑑賞者にどんな体験をして欲しいと思いますか?あなたは何か特定の反応を鑑賞者から引き出そうとしてるんでしょうか?例えば、他のアーティストの作品よりも良い反応を引き出そうとしていますか?もしそうなら、それはどんな反応でしょうか?

Otrowski: 本当に、僕は鑑賞者の心を射止めてやろうだなんて思った事はないんです。僕は自分の絵を良いと言ってくれる人が現れた時、びっくりしたぐらいですから。Javier Peres が最近教えてくれた事だけど、ベルリンの個展に高齢のフランス人女性がやってきて、激怒して帰って行ったらしいです。僕が思ったのはただひとつ、「サンキュー神様!そこにいなくて良かった」って事ですね。でも、もし居合わせたとしたら、僕の魅力で彼女は自然と心変わりしたかも知れませんね。

David Ostrowski, “F (Gee Vaucher),” 2013. Acrylic and lacquer on canvas, wood, 241 × 191 cm. © David Ostrowski. Photo: Hans-Georg Gaul. Courtesy of the Artist and Peres Projects, Berlin.

Rail: 他のアーティストとどれくらい一緒に過ごしていますか?アーティストのコミュニティの中にいてどう感じていますか?他のアーティストとの対話はあなたに取ってどのくらい重要なものでしょうか?

Ostrowski: 僕は他のアーティスト達は嫌いですね。奴らは超自己中心的だし、ダメな作品を作り、いつもアートの事しか喋らない。基本的に友達なんて邪魔くさいし、時間とお金が掛かるだけですよ。同じ事は家族にも当てはまりますね。母は俺に対して”お前は鼻が2つ付いていたとしても関係無いくらいのイケメンだ” って言うんですが、くそしょうもない話です。実際に2つにしてやろうかと思いますわ。

Rail: あなたは作品によって虚無と向き合っていると語っているけれど、私にはあなた自身が虚無を作り出してる様に思えるんですが。この解釈はあなたの作品や人生哲学など全てに当てはめる事ができるんじゃないでしょうか?

Ostrowski: でも、終わりの始まりなんて存在しないですから。それはきっと完璧な物を作ろうとしてる姿がそう見えてるだけだと思います。

- Seinfeld: Season Four, Episode Three

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