【意訳】デヴィッド・ハモンズとは何者か?なぜ彼は重要なのか?
Clip source: Who Is David Hammons, and Why Is He Important? – ARTnews.com
※英語の勉強のためにざっくりと翻訳された文章であり、誤訳や誤解が含まれている可能性が高い旨をご留意ください。
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Who Is David Hammons, and Why Is He Important?
2002年、デヴィッド・ハモンズはNYのギャラリーに人々を招待し、全く何もない空間をじっくり鑑賞させた。今や有名となったこの作品はConcerto in Black and Blue (2002)というタイトルで、Ace Galleryを訪れた人はスイッチを入れると青い光が出る小さな懐中電灯を手渡され、真っ暗なギャラリーに入ると約1,858㎡の空間を探検した。展示室を歩き回っている内に鑑賞者は徐々に気付く。アート作品が何一つ見つからない。つまり、ここには見るべきものがない、と。
Concerto in Black and Blue(黒と青の協奏曲)が示しているように、ハモンズ作品は理解不可能であろうとする。難解で、狡猾で、時に心底当惑させるのだ──端っこのピースが無いパズルや、答えの無いなぞなぞに近い。
だが、アートワールドのエリートから公共空間で彼の作品に遭遇した門外漢まで、どんな鑑賞者であろうとハモンズ作品に隠された意味を解読し続けようとはしない。多くの人はその探求を通じてハモンズ作品に魅了されてしまうのだ。(あるいは困り果ててしまう。)
この夏、珍しいことにハモンズの展示がNYで集中開催された。5月にはドローイング・センターで、ハモンズの70年代のボディ・プリント作品を掘り下げた展示が開催された。Nahmad Contemporaryではクール・エイドとバスケットボールを使った作品を取り上げた貴重な展示があり、Whitney Museum では新作:Day’s End (2014–21)が公開された。長い間待ち望まれていた、ハドソン川に設置された屋外インスレーション作品である。
一方、大西洋の向こう側では、Bourse de Commerceというパリの新しい個人美術館がオープンし、フランスにおいて最大規模の包括的なハモンズ作品群を公開している。
これらの作品の全てが安易に解釈されることを逃れている──ハモンズはその場に来て説明しようとしないので間違いない。彼は滅多にジャーナリストのインタビューも受けない。彼は自分の作品の展示され方をコントロールする術を理解しており、公開後ですら変更を加えることもある。
作品について話すのを記録されるとき、ハモンズは説明を回避する。1986年、美術史家のケリー・ジョーンズはハモンズに自分の作品が政治的と思うかどうか尋ねた。どの程度の範囲で今日の問題を参照しているのだろう、と彼女は思ったのだ。ハモンズは返答しなかった。“自分の作品が何なのか分かりません。誰かの説明を聞くまで待たなければ。”
場所とその歴史がハモンズ作品の鍵である
Day’s Endは鏡面処理された、耐久性のある素材で作られている。そういう意味で本作は彼らしくない。それでも設置場所が重視である点はハモンズ作品の典型である。この彫刻は波止場の金属製の骨組みを思わせると同時に、Pier 52を思わせる。それはすでに存在しない建築物で、1975年にはゴードン・マッタークラークが“アナーキテクチャー”と呼ぶプロセスによって部分的に切り取られたこともある場所だ。1970年代においてPier 52はゲイ男性の出会いの場でもあった。(Pier 52とクィア・コミュニティーとの関連性から、ペーター・ロフィシェルやホランド・コッターらの批評家は、Day's Endをアルヴィン・バルトロップのハドソン川周辺での男性達の性交を記録した写真作品と結び付けている。)Pier 52はもう見ることはできないが、その彷徨える魂がハモンズの彫刻に宿っている。
ハモンズ作品では、周囲に配置されたモノによって場所に情報が込められる。彼はハーレム地区に着目することが多いが、そこはマンハッタンにおいて住民の黒人率が圧倒的に高く、白人主導のビジネスによるジェントリフィケーションの脅威に現在も晒されている場所だ。ハモンズもそのエリアに住んでいたことがあり、批評家のカルヴィン・トムキンスが2019年にニューヨーカー誌で実施した調査によれば、彼はハーレムに物件を所有している。(また、ハモンズはアップステート・ニューヨークに土地を所有しており、彼のメインの居住地はヨンカースにある改装された建物である。)その地区における彼の遺産への賛辞として、ハーレムにあるStudio Museumは長いあいだ彼のAfrican American Flag (1990)をエントランスの外に掲げ続けている。それはアメリカ国旗の赤・白・青を、パン・アフリカ旗の黒・赤・緑に入れ替えた作品だ。
ハモンズ作品においてハーレムはときに重要な存在となる。映像作品のPhat Free (1995/99)でハモンズは、夜のハーレムの路上でバケツを蹴っている。バスケットボールの作品において、ハモンズは紙の上で近所の土で汚したバスケットボールを弾ませて線を引き、抽象表現主義絵画のような作品を産み出す。またハモンズはハーレムの理髪店から髪の毛を収集し、それを複数の作品で使っている。
そして彼の最も有名な作品のひとつ:Higher Goals (1986)は、ビンのフタが釘付けされた、どんな人間でも届かない高さのバスケットボールのフープをハーレムに設置したものだ。(公共芸術基金の主催したプロジェクトの一部として、この作品はブルックリン・パークでも展示された。)
ハモンズは初めから、作品を閉じ込めてしまう美術施設の外で作品を展示した。例えば1983年のパフォーマンス:Bliz-aard Ball Saleは、適当な値段を付けた雪玉を、NYの有名な美大であるクーパーユニオンの近くで売る作品だ。この作品について書かれた2017年の本の中で、キュレーターのエレナ・フィリポビッチはこう書いている。“ハモンズは黒人に対する差別的なステレオタイプ(家の無い浮浪者、路上賭博師、ドラッグの売人)を演じたのだろう。それと同時に、彼は穏やかで真面目な態度と、わざとらしいほど上品な格好で、気まぐれに値付けされた雪玉を安売りしたのだ。”
これらの作品において共通するのは、ギャラリーで展示するのがほとんど不可能という点だ。美術史家のロバート・ストーは今回のハモンズの展示についてこう書いている:“会場はアートで賑わうメインの大通りからかなり遠い場所にあるが、彼の選んだコミュニティにはとても近い。ハモンズは誠実な大衆派の一流作家でありながら理解困難な扇動者でもあり、相反する立場の間で活動する奇術師だと言う他ない。”
ハモンズはアート作品の展示方法、販売方法を打ち砕く
1988年、ハモンズはWashington Project for the Arts の委託作品として、How Ya Like Me Now?というタイトルの賛否を呼ぶ作品を制作した。黒人政治家のジェシー・ジャクソンを白人として描いていたのだ。当然の結果だが、それが展示されると鑑賞者たちはスレッジハンマーを持って来て破壊した。作品が補修された後、ハモンズはこの作品に要素を追加する。破壊に使われた実際の武器を作品の一部として展示するようにしたのだ。
伝統的に、芸術作品は固定化されたもの考えられている。一度完成したり展示されたら変更されないものだ、と。ハモンズ作品は頻繁に変化してその認識をショートさせる。彼の展示も同様だ。2016年にNYのMnuchin Gallery は、ハモンズの関与無しで彼の全キャリアを振り返る展示に取り組んでいた。ハモンズは最後のギリギリでそこに参加し、幾つかの美術館からの借用をキャンセルし、新しい作品を追加した。ハモンズの変更は余りに遅かったので、展示カタログには公開状況に対して不正確な作品リストが載ることになった。
ハモンズ作品は他のアーティストの作品に言及することもある。1981年のダウード・ベイの写真によって記録されたパフォーマンス:Pissed Offは、リチャード・セラのミニマルな彫刻: T.W.U.に小便している様子が含まれている。
ハモンズはLAのBrockman GalleryやNYのJust Above Midtownといった、アートワールドの端っこに位置する比較的小さなスペースからキャリアを開始した。それは当時のことに過ぎず、ハモンズは一流ギャラリーで作品を発表することが多い──正式な所属は拒否しているが。こういったスペースは壮大で予算の掛かった展示を行う傾向にあるが、ハモンズの手に掛かればその完璧なアウラも失われてしまう。
2014年、ハモンズはロンドンのWhite Cube galleryで個展を行い、照明を薄暗くして防犯ゲートを部分的に下げることで、その空間を半インスタレーション的な見た目にした。そして2019年、LAのHauser & Wirthではギャラリーの中庭にテントのシリーズを展示した。それはその街の近くにあるスキッド・ロウ地区を参照しているようだった。そこには頻繁にホームレスが集まり、この作品のような状況を構築している。この展示のそれぞれがギャラリーの来訪者にメッセージを投げ掛けている。“あなたもこうなっていたかもしれない”と。
ハモンズの最も評価されている作品の一つで、彼が最初に批評的・市場的な成功を収めたのが、1968年から1979年に制作されたボディ・プリントだ。(2021年、ドローイング・センターはこの作品の発表に取り組んだが、ハモンズはマスクを付けた自分の顔、という予想外なボディプリントの新作を追加した。)これを制作する際にハモンズはマーガリンとその他の油性物質を身体に塗って紙に押しつけ、幽霊のようなイメージを残した。
このシリーズには、神秘的なものから恐ろしいものまでトーンの振り幅がある。いくつかはキスしているカップルを描いたギュスターヴ・クリムトの絵画を参照しているが、他の作品では有名な人種差別の例を引用している。Injustice Case (1970)はこのシリーズの中で最も有名で、口枷をされ、手を縛られた状態で着席した男性がプリントされている。これはブラックパンサー党の議長:ボビー・シールが1968年の重要な裁判において、裁判開始後に裁判官を罵倒し続けた事で法廷侮辱とみなされ拘束された事件を参照したものだ。
(彼と7人の白人が民主党の全国集会期間中に暴動を扇動したとして起訴されたが、ボビーの件は後に彼らの裁判から切り離された。)青い絵具を塗り付けた女性の裸体を絵筆の代わりに使ったイヴ・クラインの“Anthropométries”の影響を受けたハモンズのボディプリントは、この様な多くの難局を記録してきた。
だが、クラインはハモンズに影響を与えた1人に過ぎない。彼が最も参照しているアーティストはマルセル・デュシャンであり、ハモンズは定期的にレディメイドを使用している。デュシャンと同じくハモンズにもダジャレ好きな面があり、それがタイトルや素材を決める際に2つ以上の意味を込めることに繋がっている。(例えばハモンズの初期作品に頻繁に出てくるスペードは人種差別的な身体描写を意味する言葉でもあり、シャベルを持ったジム・ダインの絵画に引用されている。)
※スペードはシャベルのような農具の事で、そこから転じてズケズケと失礼な発言(特に人種差別)をすることを意味する言葉になっている。一方でトランプのスペードは同じ綴りでもシャベルとは無関係で、イタリア語のスパーダ(剣)が語源。元々は剣だったため強い記号として認識されている。ハモンズ作品では、『スペード』という言葉が持つ記号、シャベル、人種差別、という3つの意味が複雑に絡み合っている
ハモンズはデュシャンをかなり理想化しており、2002年の書籍“The Holy Bible: Old Testament”の中で彼はアーサー・シュワルツがダダイストについて書いた論文を取り上げ、聖典と呼び直したほどだ。“私はDOC(デュシャン外来診療所)のCEOだ”と発言したこともある。
一方でハモンズはアフリカの美的伝統を使用することも多い。タカラガイ、ビーズ、仮面などが彼の彫刻には頻繁に登場するが、批評家で映像作家でもあるマンシア・ディアワラが“バナライゼーション(平凡化)”と呼ぶ手法によって普通の見た目にされている。その見た目は実際にとても典型的で、ケリー・ジョーンズは2016年のカタログに寄稿したエッセイにおいて、西部および中央アフリカのマスクを積み重ねた彫刻は、フリーマーケットや単純にどこかNYの店で購入したマスクではないかと疑っている。“このような、我々の環境にあるちぐはぐな見た目の素材は、地球上に生きる我々の生活について何を語るのだろうか?”
Correction 5/27/21, 4:20 p.m.:A previous version of this article stated that David Hammons’s performance Pissed Off involved urinating on Richard Serra’s Tilted Arc. That performance was staged at Serra’s sculpture T.W.U., not Tilted Arc.
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