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それはまるで、"忘れるな"と首元に刃物を当てられているような。

去年の2月、わたしは初めてコロナになった。


あれだけ感染対策をしていたのに、と唖然としてしまったが、なってしまったものは仕方がない。

自宅療養の末、完治に至った。


しかし、去年の暮れに、再度彼が体調を崩したところから、わたしたちの療養生活は再び幕を上げた。


彼はコロナを発症、わたしは熱はないけれど喉の痛みや熱があったため、コロナだろうとみて仕事をしながらゆっくりしていた。

数日後、わたしも発熱。病院にかかったところ、わたしはインフルエンザだった。


看護師さんも医師も、わたしも彼もみんな頭の上にはてなマークが浮かんでいた。

無理もないだろう。同居内で、別々の病気を発症しているのだから。


すっかりコロナだと高を括っていたわたしたちは、隔離生活の延長で心がすさんでいた。楽しみにしていたクリスマスは、めちゃくちゃになってしまった。


来年こそは病気をしないぞ。そう思っていた矢先のことだった。




年始、普段通りに仕事をしていると、何やら身体の痛みが強いことに気が付いた。
そして、件のコロナ・インフル騒動前後からずっと腫れていたリンパが、収まっていたはずなのにまた腫れている。


頭痛もひどくなり、一晩ゆっくり寝たのもつかの間。

微熱と全身の痛みの強さに、愕然とする。


通常、SLEの悪化であれば、もっと関節が強く痛むはず。

しかし、どちらかというと節々も痛いが、筋肉の痛みの方が強い。

コロナ、あるいはインフルエンザにかかってしまったのか?


でも、喉の痛みや咳など、風邪のような症状はない。

そもそもそんなに頻繁に、感染症にかかるものだろうか?


不安がもやもやと頭の中を侵食していく。

行き場のない不安が怖くなり、その日は大好きなゲームにも手を付けずに眠った。




あくる日、彼が心配しているのもあり、土日を挟むのも怖いので、結局病院に電話して行くことになった。


本来であれば、主治医は外来の日ではなかったが、電話で相談したところ診てもらえることになったので、病院に向かう。

診察ののち、いつもどおり、採血と採尿、そしてCTを撮ることになった。


しばらくして、検査結果が出たとのことで診察室の前で待っていたが、なかなか呼ばれない。

付き添いの彼に、「入院にならないといいね」と耳打ちしてしまうぐらい、妙な時間が流れていた。(主治医は病棟の患者さんを診察する日なので、他の外来の患者さんはいない)


やっと呼ばれ、診察室に入ると、やはり深刻そうな顔をした主治医が出迎えてくれた。


血液検査の結果はわずかであるが数か所赤くなっており、どれも炎症を示す値が上がっていた。

そして、CTの所見も芳しくはなく、数々のリンパの腫れと、腫れあがる脾臓がありありと写されていた。

そんなに腫れていたら、そりゃお腹が苦しくて痛いわけだ。


妙に冷静に納得している自分がいた。

原因がわかって、少しほっとしたという部分もある。


検査結果を踏まえて、先生は二種類の可能性を提示した。

ウイルス感染症
・リンパ節が腫れる
・発熱
・関節痛、脾腫(脾臓が腫れていること)

SLEの悪化
LDHの値の上昇
・発熱
・関節痛
・脾腫(脾臓が腫れていること)

先生の所見でいうと、どちらかというとSLEの悪化の方が疑わしいとのことだった。

しかし、SLEと診断するためには、あらゆる可能性を排除する必要がある。

そのため、帰りにウイルス検査のための採血をおこない、ようやく帰ることができた。


検査結果が出るのは1週間後。

ここまで再燃せずに頑張ってきたのに再燃し、ステロイドが増えてしまったという絶望感と、これでよくなってくれ、というわずかな希望の中、不安な1週間を過ごした。




1週間後。


体調は劇的に変化しているわけでもなかったので、いささか不安な気持ちで病院に足を踏み入れた。


リンパは腫れているし、微熱もまだ若干出たりでなかったり。
ステロイドを急激に増やした影響か、常に身体が重怠い。


そんなわけで、彼にまた病院まで連れていってもらい、血液検査と尿検査をし、診察を待つ。


診察室に呼ばれて、結果を言い渡される。

結論から言うと、サイトメガロウイルスなどの感染症には匹敵していないとのこと。

つまり、再燃の説が濃厚、ということだ。




先週の時点でわかっていたことだけれど、やはり落胆した。
ここまで頑張ってきたのに、と。

でも、事実は仕方のないことだ。
以前よりもひどい再燃でなかったことだけ、良いと思わなくては。


検査結果では、炎症の値はやや下がっているとのこと。
まだ1週間しか薬を増やしていないから、効果はじわじわとしか出ていないのではないか、ということだった。


とりあえず、1カ月増量したままで治療を続けると言われ、1週間後にもともと通院の予定があったことから、その日は帰された。




今まで順調だったのもあり、突然のことすぎてまだ実感がない。

コロナの時は再燃しなかったから、油断していた、というのもある。

まさかインフルエンザにかかるなんて。そして、それがトリガーになったかもしれないなんて。


それはまるで、病気がわたしに「忘れるな」と首元に刃物を突きつけているような、そんな心地がした。

わたしがいくら病気のことを忘れて、健常者のように生きることができていても、病気だという事実は変わらないのだ、と家に帰ってから静かに泣いた。



よくよく考えてみると、インフルエンザに疾患する前から、じんましんが出ていた。

その時はかゆみもなく、小さな発疹がぷちぷちと広範囲に出ていただけなので気にとめていなかったが、皮膚科の先生に相談したところ、「コリン性蕁麻疹」ではないかとのことだった。


写真を見せたが、きっとそう、とのこと。


かゆみが出てきたらまた相談してください、と言われてその日は薬を貰わずに帰ったが、その後結局寝れないほどのかゆみとなり、後日皮膚科で薬をもらった。


コリン性蕁麻疹は、ストレスや疲れから起因する蕁麻疹。

これがわたしの疲労パラメーターであるのなら、素直におとなしく身体を休めなかったわたしにも落ち度があると言えるだろう。


身体は存外正直だ。わたしの心よりも先に、サインを出している。

鈍感なわたしは気づくことができず、異変に気づいても対して気に留めることなく過ごしてしまったのが、再燃の原因なのかもしれない。




再燃の原因として考えられるのは3つ。

  • 疲労

  • ストレス

  • 感染症

3つ目の感染症に至っては、疲労とストレスによる免疫力の低下で起こるようなものだから、2次被害的な立ち位置だと言えそうだ。


わたしはやりたいことがあると、HPがカラカラになるまで熱中し、走り続けてしまう習性がある。

それを理解していても、「あとちょっとだから」「今日はここまで」と無理をしてしまう。

それが知らず知らずのうちに、自分の首を絞めていることも知らずに。

まるで、短距離走のように予定を詰め、タスクを詰め、結果無茶を重ねて疲労とストレスを溜めてしまう。


それではダメだ。


長期的に体調を安定させるためにも、無理のないペース配分が必要なのだと改めて実感した。


人生はマラソンだ。

飛ばしすぎても完走できないし、遅すぎてもゴールまでの時間が長くなり、結果として体力維持が難しくなる。


今年の目標は、ペース配分を覚えること。

この再燃を活かして、人生という長いマラソンをリタイアすることなく、ゴールまで完走できるようペース配分をしっかりすることを心がけていきたいと思う。



また、進捗あればnote書きます。




先日、こちらの記事がnote公式さんに取り上げていただき、多くの反響をいただきました。

この場を借りてお礼申し上げます。


物書きの端くれとして、書いていてよかったと思える出来事でした。

年始からどん底な気分でしたが、少しだけ心が軽くなりました。


まだ、書いていてもよいと思わせてくれて、ありがとうございます。


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