受け入れられる顔 ≠ 好きな顔
「スーツが似合う黒髪の男性見るとキュンキュンするよね♡」
先日の女子会で散々盛り上がったが、結局黒髪だろうがスーツだろうが、キュンキュンするためには顔が大事であるという究極の心理が露呈しただけでした。人生なかなか上手くいかないものですね…
どうも、えりぃです。
今回は、最近友人とよく話題になる
相手を好きの対象として受け入れられるかどうか
という恋愛にとって最も面倒な話題に関して、勝手に語りたいと思う。
そもそも事の発端は、私がnoteの話題を周囲に相談していた時に、とある友人が言っていた
好きな顔じゃなくても、受け入れられる顔と受け入れられない顔ってあるよね
というパワーワードに私が食いついたことから始まる。
先にお伝えしておくが、私はとにかく面食いである。
どんなに紳士でも、どんなに尽くしてもらえても、第一関門に見た目という鉄壁ガードが存在する。
恋愛においては、まずそこを突破しないと相手のことを知ろうとも思えない。自分のことは棚に上げまくって、相手にはめっちゃ高い理想を求めている。
なんて最低な人間なんだろう。
しかし、自分でもたまにびっくりするくらい、好みの顔じゃないのに惹かれる人に遭遇することがある。
かっこいい!
とかじゃないのに、全然受け入れられるし、私の中の第一関門をスルリと抜けてくる。
あれは一体何なんだろう???
普段の私の鉄壁のガードはどうしたんだろう???
自分でも不思議なくらいに私は本能的に選択している瞬間がある。
失礼極まりない文章を羅列しているが、誰かを好きになる時って、こういうことを誰しも少なからず考えるはずだ。
「見た目は気にしないな〜大事なのは中身だよ」
とか長続きカップルに言われることがあるが、
という広瀬(1993)の言説からも、他人に興味を持つのは、ほぼ見た目きっかけであることが分かるだろう。
ここで、判断基準は人それぞれだと思うが、私が勝手に考えている
受け入れられる顔か、受け入れられない顔か、
の判断方法を紹介したいと思う。
それはズバリ、
キスできるかどうか
である。
もし相手が好意を示してきて、キスまで発展すると考えた時、それを自分が受け止められれば、相手の顔は受け入れられる顔であり、
いい人だと分かっていても、キスを拒んで(拒みたくなって)しまう場合は、相手の顔が受け入れられない顔なのだ。
今書いていても、なんて残酷なんだろう、と思う。
でも、それ以上でもそれ以下でもない。
私の中ではそれが揺るがぬ判断基準なのだ。
図解にするとこんな感じになる。
いざ可視化すると、シード権の存在がなんか鼻につくし、無性に悲しい気持ちになる。
わざわざ図にする必要なかったかも、と少し後悔している。
私に限らず、きっと誰もが意識的・無意識的に、こうやって選別しながら恋人を探しているのだろう。
あらゆる基準による選別行為に関して、私は決して批判なんてしない。
だって私もやっているんだから。
そう考え出すと、クリスマスにイルミネーション見て、
ディズニーには泊まりで行って、
週末にはおしゃれなカフェに行って、
仕事帰りには一緒にジムに行って、
終電間際に駅のホームでギリギリまで粘っている全カップルを尊敬する。
次に私の前に現れる人は、どんな人だろうか?
私は無事に受け入れられるだろうか?
そんな先々のことを勝手に考えながら、
カフェで1人、
斜め前のテーブルのカップルを眺め、
この2人はどうやってお互いを受け入れ合っていったのだろうか?
とか考察しながら黙々と記事を書くのだった。