「DIE WITH ZERO」vs.「隠居」――お金より大事な「時間の支出」を見直す
『DIE WITH ZERO 人生が豊かになりすぎる究極のルール』(ダイヤモンド社)を読みました。
あまりに多くの人が、老後に備えてひたすらお金を貯めて、使い切らずに死んでいく。そんな蓄えるだけの生き方をやめて、「富」の最大化ではなく「人生」の最大化を目指せと著者のビル・パーキンスは説きます。
老後で何より価値が高まるのは「思い出」であり、「とにかく早い段階で経験に投資」すべき。年齢により「金」「健康」「時間」のバランスは変化する。歳をとると健康状態は衰え、「時間と金から価値を引き出す能力」は低くなる。だからこそ、若いころに時間と金を使って経験せよ、というのが本書の主張です。
「ゼロで死ね」には大いに共感するものの、自分がどうするかを考えると悩ましい……。すでに十分貯めてしまった中高年は「使え」一択でしょうが、問題は20~30代の場合です。ほとんどの人が「金はあるが時間はない」か「金もないし時間もない」のどちらかではないでしょうか。経験を積もうにも、その時間がないのが一番の問題だし、働く時間を減らしたら生活が成り立たない人も少なくないかもしれません。
最初からゼロで生きる「隠居」
そこで「金」と「時間」のバランスを考えるために読み直したのが大原扁理『なるべく働きたくない人のためのお金の話』(百万年書房)。
大原さんは20代にして「隠居」した強者で、『年収90万円でハッピーライフ』(ちくま文庫)という著書もあります。その生活はというと、
国立駅から徒歩20分以上、家賃2万8000円のアパート
仕事は介護を週2日
趣味は読書と料理と散歩
これで十分幸せだといいます(現在はここまで極端な隠居ではないらしい)。要するに「金と時間のバランス」でいえば、金を稼がないことで時間に全振りした暮らしということ。大原さんのお金についての考え方は、かなり「DIE WITH ZERO」に通ずるところがあります。
「自分がどうありたいのか」を考えたとき、そのためにお金を投じる経験が必須なら稼ぐ必要があります。でも、その必要がないなら大原さんのように「隠居」という選択肢もアリなわけです。
私は、どうも『DIE WITH ZERO』でいわれている「経験」や「投資」というのがしっくりきませんでした。海外旅行のようなお金を使った経験というのは結局「消費」であって、人生の目的になりえないのではないか、と思ったのです。
大学教授でありながら貯蓄と投資で巨万の富を築いた本多静六は『私の財産告白』(実業之日本社文庫)のなかで「人生の最大幸福は職業の道楽化」と説いています。結局のところ、「経験」と「稼ぐ」が同時にできるのが一番じゃないでしょうか。
「時間の支出」を考え直す
自分は隠居的な生活に憧れつつも、今はそうしなくていいと思っています。仕事を通じて社会になんらかのいい影響を与えたいし、そのためには会社というインフラが有用だと考えているからです(あと、隠居すると家族はどうするんだという問題は当然残りますし……)。でも本を読んだり映画を見たりする時間はもっとほしい。「職業の道楽化」を目指しつつ、余計に働きすぎずに時間を作るのが自分にとっての「最適解」ではないかと今のところは考えています。
三宅香帆さんは『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書)のなかで、「全身全霊」での仕事をやめて「半身で働く」ことを提唱しています。最適な「金と時間のバランス」は人によって違うはず。現状、フルタイムで働かないとかなり損する社会ですが、より多様な働き方、生き方ができる社会になってほしいと切に願います。
いずれにせよ、自分も含め日本人が全体的に「時間」を仕事に取られすぎているのは間違いないでしょう。もっと休みましょう。男性も育休1年取れば働かずに200万円くらいもらえます。メンタルやばいなら傷病手当金が出ます。最長1年半、給料の3分の2もらえます。転職しなくても時間を作る方法はあります。お金以上に「時間の支出」を見直すのが大事、というのが2冊を読んだひとまずの結論です。