見出し画像

「対馬の海に沈む」開高健ノンフィクション賞受賞作を読みました。

   

窪田新之助    「対馬の海に沈む」


※JAは農協。農協はJAです。
※農協は農業協同組合のことをいいます。
※JAは、Japan Agricultural Cooperativesの略です。
※繰り返しますが農協も、農業協同組合もJAも、みんなおんなじ。
※農家以外の人は金融業のような印象を持つが、金融や保険を取り扱っても所轄は金融庁でなく「農林水産省」の管轄です。不祥事やりたい放題の根源です。


」」」」」」」」」」」」」」」


 本作には「開高健ノンフィクション賞受賞作」 という目立つ帯がかけられている。本屋で見かけたような記憶もあるが、小説好きのわたしは素通りしていた。購入した今、改めて帯をよく読んでみる。そこには、

↓ ↓ ↓

 JAで「神様」と呼ばれた男の溺死。執拗な取材の果て、辿り着いたのは、国境の島に蠢く人間の深い闇だった


……と書いている。

 そう書いてはいても、それだけではこの本の内容は一体何の話かわからない。

 対馬といえば竹島問題ね、というめちゃくちゃ地図に弱いわたし。マップ検索で、長崎県だったわ、島根県と間違えてたわと思ったぐらい、対馬には縁がない。

 そんなわたしが本作の内容を正確に把握できたのは、ニュースのおかげ。素晴らしい受賞作ですよという紹介記事が流れてきたから。

 本作は、優秀なJA職員、西山なる人物が自殺するシーンから始まる。わたしは、そのもとになった事件を記憶している。彼が横領したのは実に22億円。でもJAといえば横領といえるぐらい、横領をした犯罪者が何人もいる。金額でいえば、西山は破格の横領者だ。しかし、彼はたった一人で本当にそれをやってのけたのだろうか。どうやって?


 わたしはJAの横領事件が絶えない理由を身をもって知っている。横領ニュースを聞くたびに「またか」 と思う。

 でも筆者はそうでなく一つの事件に的を絞り取材を重ねた。元々この人はJA関連の新聞記者だったので職業的な興味があったのだと思う。取材を重ねると芋ずる式に「ただの事件」 じゃないとわかってきた。その結果、ちょっと推理小説的風味もある奇妙なドキュメンタリーになっている。


 分厚い本だがすらすらと読めるのは、書き方が親切だから。単なる新聞記事でなく、あれ、この話はと思って(忘れていて)後戻りしてもう一度読む仕組みがうまい。冒頭で西山の自殺シーンから入るのもいい。彼は車ごと海に突っ込んだのだが、引き上げたときは車の窓から足が出ていた。情景に臨場感があり、事件当時の水温まで書いている。15度だったらしい。リアリティがありすぎ。親切すぎ。

 その上、死に行く西山を目撃した人物目線で書いていくのだもの、引き込まれて読みふけてしまう。でもこいつが22億ものJAのお金を横領したのだったら自業自得だよね、いい気味だわと性格の黒いわたしは思う。

 話はそれだけですまない。悪人が反省して自殺しますねという単純な話だったら本作は受賞できない。

 取材を重ねた結果、西山以外にも黒い部分が徐々に晒されてきた。西山より悪い人間がいた。そうはいっても西山は決して傀儡ではない。

 西山は不正を告発した非常勤職員の女性をブスなどいって容姿を貶め、退職に追い込んだ。そりゃ西山がダメでしょ。筆者はその女性とも取材をしようとしたが、連絡は取れなかったというのも闇が深い。

 筆者は途中で怒られたり、拒否されたりの苦労もあったけれども、取材のやり方も、書き方もうまいので読者もその取材につきあっているような感覚も味わえる。それとあわせて読むとなんだかお得な一冊です。 

 

 良い本だが、筆者は西山が蒐集していたフィギュアの話から突如としてワンピースの登場人物になぞらえたりで、唐突な印象を受けた。途中で同情をしていたのかと思ったぐらい。

 わたしはそうでなく西山に対して同情がまったくできなかった。西山の妻も不正な金を入れていた通帳が凍結されたのを不服として訴訟を起こしている。筆者は彼女にもまた彼女の親にも取材をしている。彼女からは皆にいろいろ言われて外にも出れないときがあったという言葉を引き出している。それは公平な筆だと思う。双方の言い分をちゃんと聞きとって書いているから。そこからどう受け止めるのかは読者の自由だ。

 西山が凋落した時に、今まで神様、天皇とまで言われていた西山のまわりには誰も人が来なかったらしい。いい気味だ。自殺して可哀そうとは全然思わない。若い時のはつらつした様子も書いているが、罪の意識ゼロでやっていたなと感じられるふしもあり、結局は自殺も自業自得でしょう。

 本書には西山の横領というかその目くらましのやり方も当然書いているが、人から預かった印鑑を束にして持っていたとあって、やっぱりと思った。JA職員は対馬だけでなく、慣例としてお年寄りの通帳や印鑑を預かることが多いと明記している。

 どこの土地でもそうであれば、そりゃあJAに横領事件が絶えないのも当然でしょ。これを書いている今もなお、JAのどこかで横領職員が書類をせっせと捏造中のはずだ。

 筆者は正当なノンフィクションの書き手だと思うが、読んでいくうちにわたしにはそういう書き方は無理だなとわかった。わたしなら小説仕立てにして夫婦ごと悪人に仕立て上げる。西山の不正を感じたものもいたのに、露見しなかったのは理由がある。恩恵を得ていたのが何人もいたから。

」」」」」

 わたしのエッセイを読んだことのある人はわたしの叔母が20代の若い時から長期にわたって横領していたことを知っている。途中で副知事からJAに天下りをしてきた人と不倫関係になり、JAの女主(おんなあるじ)と言われ、海外旅行の空港の送迎に職員を使うなど私物化をしていたことも知っている。わたしは二人で部屋に閉じこもるマンションの住所まで知っている。相手が亡くなったら即売却したことも知っている。それをやってのけるぐらいだから、証拠隠滅も支店長、統括後は常務という位置づけで完璧にできただろう。

 叔母がやった横領については正確な金額はわからない。でも母名義とわたし名義のJAの通帳を昔から見せてくれないことから疑問を抱いて、わたしは入出金履歴をとって不審な点をあぶりだした。わたし名義の保険も知らぬ間にかけられていた。

 しかし肝心の叔母(本人)に聞いても「知らんがな」「うち、忙しいねん」 そのうち逆上して「私は何もしてへん、何もやってへんがな」 と泣きわめく。他の親戚にはおばあちゃんの遺産欲しさにわたしからお金を盗ろうとしていると言いふらす始末。

 親戚はもうわたしは一族ではない扱いを受けている。なぜなら親戚の全員がその叔母に融資を優遇されたり、叔母通じて議員に子どもの就職のあっせんをうけて種々の恩恵を得ていたから。

 

 だからわたしは本書の西山と叔母を重ねて読んだ。冒頭から西山の死にざまを読ませるので、わたしも叔母がこんなふうにすべて露見して自殺してくれたらどんなにいいかと思う。

 わたしは叔母との会話が成立しないため、叔母を雇用していたJAを相手に裁判外紛争解決措置、略してADRも利用した。JAからは叔母との個人的な感情を持ってくるなと遠回しに文句を言われたが、不審な履歴がある通帳を放置していたので、叔母が雇用していたJAに調査をしてほしい、また理由を聞きたいと思うのが当然だろう。

 ところがわたしはADR開催前に例の叔母のすぐ下の妹が「あの子、横領していたんよ」 と暴露されて愕然とする。わたしはそれを聞かされるまで、叔母が無断で通帳操作をしたり、保険をかけたりしたのは成績をあげたいのと、土地の転売の税金逃れだと思っていたから。

 でも叔母が横領していたなら、母の実家で感じたいろいろな不審な点、母の極貧な思い出話、祖母の不可解な言動の理由が氷解する。

 祖母は叔母のことを「あの子は自分と他人のお金の区別がついてへん」 と愚痴っていた。わたしがその発言の真意を理解したのはその30年後だ。祖母は知っていたのだ。叔母と叔母の従姉妹たちが妙に警察を嫌い、落とし物をしても届け出を一切しなかった理由もわかってくる。そして周囲には過度の良い人を演じる理由もわかってくる。


 横領者の身内兼被害者はこういった読み方をするのかと思ってくれてもいいが、わたしは叔母が恥ずかしくまたそれを放置し叔母を処罰しないJAも憎いから全部消えてなくなってほしいと思っている。

 大体数か月に一度はJAの横領や不祥事が発覚するのに、頻度が落ちないのはなぜか。自爆営業も昔から問題視されているのに、あいかわらずあるのはなぜか。その答えも本書にある。

 叔母については警察には資料提出済みだが、JAからの被害届もなにもなければ動けないと言ってそのままだ。また昭和時代の話になるので、時効もある。

 もちろんJAにも叔母の横領の話も伝えたが、センター長に報告しますと言われてそのままだ。何も変わらない。横領はやったもの勝ちだ。

 叔母には幼いころから勝気で、仏壇にある祖母の財布からお金を抜き取り、散財していた履歴もある。だからお金に関する罪悪感が生まれつき持ち合わせていなかったともいえる。その叔母はもう80歳を過ぎた。

 どんな気分で贅沢な生活を謳歌して、この世を去ろうとしているのだろう。少なくとも西山の方が自殺するだけマシで良い人間だとわたしは思う。






いいなと思ったら応援しよう!

ふじたごうらこ
ありがとうございます。

この記事が参加している募集