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20歳の独立日記

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就職率99%の専門学校で就職せずに、フリーランスデザイナーとして独立した20歳の毎日。嬉しかったことも、悲しかったことも全部書きます。
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#20歳の独立日記

20歳の独立日記〜15日目〜

5月25日(金曜日) 今日は実家に帰った。健康保険証を母に返しにいくために。6月から国民保険に加入する。僕はよく分かっていないが、守られていた立場から自分で自分を守る立場になるらしい。恥ずかしながら、こういった手続き関係は母に任している。母は個人事業主で、Amebaブログ界ではカリスマらしい。僕からしたら普通の母だ。 母は20歳のときに僕を出産し、その後すぐにシングルマザーになった。「大変だったでしょう」コンビニのパートのおばちゃんによく言われた。僕はピンと来なかった。そ

20歳の独立日記〜32日目〜

6月11日(月曜日) 中学生の時、バンドをしていた。 hi step cornerというバンドで、ASIAN KUNGFu-GENERATIONのコピーをしていた。中学生ながら、「バンドマンとはこうあるべき」みたいなアイデンティティを持って僕はやっていた。 今思えば履き違えたロックンロールの塊で、夜に思い出すと枕を天井に投げたくなる。 でも、クラスからハブられていた僕にとってバンドをしているということは最後のカードだった。 こいつらにはバカにされてるけど、俺はギター

20歳の独立日記〜35日目〜

6月14日(木曜日) 今日は起きたら13:00だった。 最近なかなか寝れない。仕事が終わっても、なかなか寝れない。急に本棚の整理をしたくなるし、夜明けの街をNUMBER GIRLを聴きながら徘徊したくなる。 「眠らずに朝が来て ふらつきながら帰る」 - OMOIDE IN MY HEAD 夜明けの街にNUMBER GIRLは溶ける。かき鳴らすギター、ボーカル。うるさくはない。イヤホンから流れる音が、鼓膜を伝わり、骨を揺らし、脳内に満ちる。 街は静かで 歩いている

20歳の独立日記〜36日目〜

6月15日(金曜日) もう15日なのに、5月…と書いた見出しを6月に書き直している。 6月に入ってから毎日、一旦5月と書いている。そんなに5月なにかあったかな?と考える。 「20歳の独立日記」を始めたのが5月だった。毎日毎日、誰が読むんだろう。書くネタなんて無いよ。などと、うんうん唸って必死に書いていた。 毎日文章を書くことを、むりやり習慣付けたのが5月だった。だから、5月と書いてしまうのかもしれない。 昨日は平成生まれが集まる飲み会だった。平成9年生まれ、最年少代

20歳の独立日記〜37日目〜

6月16日(土曜日) 今日は午前から、イベントの打ち合わせだった。フリーランスとして、自分のポジションを「0.5歩先」と位置付けてフリーランスの生き方、自分のやってきたことを学生を中心に伝えていく。 自分が発信者になることで、自分自身の学びにつながると思っている。 ---- 夜は専門学校のときの友達と飲んだ。 デザイン事務所に勤める人が多くて、就職も大変だなぁと思った。 ただ僕はフリーランス最高! というわけじゃなくて、企業勤めができなかったが故にフリーランスに

20歳の独立日記〜38日目〜

6月17日(日曜日) 7月から20年間住んだ大阪を離れて、 茨城県に住む。 なんのこっちゃという話だ。 6月の13日にこんなツイートをした。 たくさんの人に拡散してもらって、色んな地方のシェアハウスから「うちに来ますか?」というお声がけを頂いた。その中から茨城を選んだのは、実家から一番遠かったから。ただそれだけ。 住むところはここ 僕の中で0円で泊まれるシェアハウス「京橋URA」は、自分の価値観をぶち壊してくれた。 お金はガソリンだと思う。ガソリンが無くちゃ走れ

20歳の独立日記〜39日目〜

6月18日(月曜日) 死ぬかと思った。 午前7時58分に大阪府高槻市を震源地とする地震が発生した。 僕の住んでいるのは震源地からかなり近く、最大震度は6弱だった。 6だろうが5だろうが変わらなかったと思う。ベッドに横になっていた僕は、スマートホンの緊急地震速報の音で目が覚めた。それからすぐ、ドーンと床から突き上げられた。本棚から大量の本が落ち、CDは割れ、テレビも倒れてきた。 幸いベッドから離れていたため、寝ている僕は無事だった。 地震があんなに怖いと、今まで分か

20歳の独立日記〜49日目〜

6月28日(木曜日) 午前中に仕事を終わらせて、近くの喫茶店に向かう。写真は散歩の途中に見つけた公園。なぜか写真を撮っていた。 マンションの中にある小さな公園が好きで、なぜか、見てしまう。そこに声が聞こえるような気がする。昔住んでいた家の近くにも、最低限の遊具だけがある公園があった。母とよくボール遊びをした思い出がうっすら残っている。 母は1週間のうち、6日間働いていた。だから遊べるのは日曜日の1日だけだった。お昼まで寝ている母を起こすこともせず、僕は一人、笑ってい

20歳の独立日記〜51日目〜

6月30日(土曜日) 今日はザ・モアイズユーの初ワンマンに行ってきた。ザ・モアイズユーとは長いお付き合い。仕事が一切ない時に、僕に仕事を頼んでくれた。 タワーレコードに自分が作ったCDジャケットが並んだのもこのバンドのおかげだし、たくさんのつながりをもらった。 ザ・モアイズユーは信じていいバンドだと思う。頑張れ、と言うんじゃなくてただ、そばで心の中に歌ってくれる。ライブだってそうだ。皆にじゃない。あなたにだ。 だから、早く見に行くといい。 ----- 明日から茨城

20歳の独立日記〜52日目〜

7月1日(日曜日) 今日は1ヶ月前から企画していたイベントの当日だった。 京都のタリキチというイベントスペースを借りて、学生向けのフリーランスの働き方についてセミナーと、ワークショップを行った。 正直人が来るか怖かったのだが、協力者2人のおかげで多くの方に来て頂いた。イベント自体もとても盛り上がった。 学ぼう、明日からできることを見つけよう、仲間を作ろうという「主体性」のある方たちが集まってくれた。 自分はライフデザインワークショップと称して、ワークショップを行った

20歳の独立日記〜53日目〜

7月2日(月曜日) 今日から茨城県にあるシェアハウス「アトリエ」の住人として暮らしている。 僕の部屋から見える景色。何にもない。静かだし、夜は真っ暗。ビルが無いから空が広い。遮るものが無いからめっちゃ暑い。 今日は市役所で手続きをしてきた。引っ越しをするのも大変。シェアハウスの住人の2人がついてきてくれた。「ここに名前で、ここに今の住所かいて〜」しかもクルマで市役所まで送ってくれた。 原付の免許は取ろうと思った。あー、自転車の方がいいかなぁ。でも家から出ない方がいいか

20歳の独立日記〜54日目〜

7月3日(火曜日) 朝6時に起きた。サッカーはもう終わって、日本は負けていた。「いい試合だった」らしい。サッカーは好きだけど、わざわざ見ようとは思わない。 小学校のときからずっとそう。友達にプロサッカー選手を目指す男の子がいた。市丸くんという名前。市丸くんはすごくサッカーが上手で、三年生なのに六年生と一緒に練習をしていた。彼が所属するサッカーチームは地区大会の優勝常連だった。 練習がない日も友達とサッカーで遊んでいた。僕はそれを横目に、友達の家にイナズマイレブンのゲーム

20歳の独立日記〜55日目〜

7月4日(水曜日) 最近とても早起き。7時に起きるなんて、大阪時代には考えられない。リビングで寝ることが多くて、住居人の出勤のタイミングで起きる。とても良い。 シェアハウスアトリエには"ぽけ"がいる。ぽけはパグだ。(ぽけーってしてるから、名前がぽけなのかも)朝起きてぽけを撫でた。 屋上に行ってギターを弾いた。全然弾けなくて笑ってしまった。スピッツのチェリーを練習した。きみを忘れないー。 今日は「茨城県近代美術館」に行った。美術館ってとても涼しい。中には彫刻、絵画、版画

20歳の独立日記〜56日目〜

7月5日(木曜日) 今日は朝から晩まで作業。おととい、昨日と水戸市を散策して疲れた。1時間歩いてDAISOに行くなんて、大阪にいたときには考えられなかった。 昨日、神社に行った。東照宮という名前。朝9:00の境内は誰もいなくて、シーンとしていた。手を清めて、お参りした。お賽銭に500円入れた。 「いい出会いがありますように」 そしたら今日、シェアハウスに色んな人が来てくれた。 僕の住むシェアハウス「アトリエ」では、色んなイベントを開催している。今日はビジネスセミナー