25歳にもなって、大人になるとはどういうことかを考える
「もういいかげん、大人になれば?」
そう人から言われても、仕方ないくらいに子供なボクだ。
具体的には、酔っ払うとお風呂場でオシッコをしてしまう。
子供がやりそうな不潔な行為が、未だに辞められない。
だが、ボクは”大人”なんだと思う。
※ちゃんと”した後”は、ボディソープやら洗剤やらで洗い流すからね
よく聞く、「子供に戻りたいと思っているウチは、まだ子供だよ。子供に戻りたいと思わなくなった時、人は大人になるんだよ」なんて言葉がある。
ボクは別に子供に戻りたくないから、大人なのか?
そんな安直な答えで、この考えを終わらせたくない。
じゃあ大人になるとは、何なのか。
ボクの大好きなドラゴン桜という漫画では、こんな言葉がある。
漫画「ドラゴン桜」より
なるほど。
大人になるとは、「人に与える者になる」こと、
即ち”働くこと”である。
学生は親がお金を払えば、学校から教育を与えられる者だ。
社会に出て働けば、人が喜んだり悩みを解決するサービスを与える者になる。
つまり、この理屈でいくと、社会で働く人は全て大人になる。
逆に、大学生で成人していても、社会で働からず、のほほんとしている人は子供ということになる。
”親から守られている内は”子供だということだろう。
ここで気づいた。
”親から守られている内は”という、キーワードにだ。
学生の中には、特別な事情を抱えて、親の支援を一切に受けずに学費を奨学金で賄い、バイトで生活費を稼いで勉学に勤しむ人もいるだろう。
フリーターの中には身体一つで上京して、親の支援を受けず、バイト生活をしながら夢を追いかける人もいるだろう。
彼らは決して子供ではない。
親の手から離れた、立派な大人だ。
自分の意志で生きる、立派な大人だ。
人に与える行為そのものが大人というよりも、親に頼らず、自分の2本足で生きるために自立した人を大人と呼んであげたい。
だとしたら、ボクも大人に分類されるけど、お風呂でオシッコをするのは子供がやる行為だ。
早く大人になりたいHARUKICHI.であった。