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母と娘。
ふと、感じたこと。
わたしは、母を支えるために辛い思いを経験したのではないかと思った。
今、すごく母は苦しくて、塞ぎ込んでいると思う
自分の母親を亡くしてから…
それなのに、こんなに俯瞰して話しているのは、わたしのクセ。
感情を敏感に察して、影響を受けすぎてしまうことがあるので、これは自分を保つためでもある。
わたしは、小学生になる前に両親が離婚し、
それからずっと母の実家で育ちました。
母が働きに出ている間は、祖母と一緒に過ごして。小さい頃も、思春期も、たくさんお世話になったし、反抗もしたし、迷惑もかけてきました。
そんな祖母ですが、実はうつ病を患っていました。病気の存在を知らない幼少期の頃から、わたしも薄々、変だなぁと気づいてた。
けど、その存在を知り、一緒に過ごしてきたわたしの母は、誰も知らない苦労がたくさんあっただろうなと…改めて実感したのです。
祖母の葬儀が始まる前、母が泣きながら自分のことを話してくれました。
祖母と過ごした苦労話ではなく、母の祖母に対する思いを。
「ぶつかってばっかりだったけど、やっと話せるようになってさ。小さい頃からばあちゃんは厳しくて甘えられなかったから…でもやっと2人で話したり、出かけたりできるようになって、かわいいなって思ったのに…やっと話し相手になれたのに…」
母があんなに泣く姿、わたしは初めて見ました。
ずっとずっとさみしくて、母に甘えたくて、でもそんな気持ちを我慢してたんだって、やっと母の気持ちが分かったのです。
わたし自身も、実はずっと母とは仲が良くありませんでした。
早く離れたい、早く家を出たい。
そんな思いで転職して、失敗して、1人じゃどうしようもできなくなって、心を病んでしまった時、帰る場所は実家しかありませんでしたが…
それでも一番理解して欲しかった母に冷たく突き放されたのです。
それが本当に辛く、苦しくて。
2年間、一度も実家に帰ることはありませんでした。
その後、再会したのが祖母の死だったのです。
ずっと自分だけが苦しい思いをしてきたと心の中で思っていて、もう傷つきたくないからと母に会うのを避けていた。
でもきっと、母自身もそうやって厳しくされてきたから、そうするしか分からなかったんだよね。
母は、わたし以上に苦しい思いをたくさんしてきたんだなと、やっと母の痛みや苦しみを理解することができたのです。
甘えたくても甘えられなかったこと、
誰にも頼ることができなかったこと、
1人で抱え込んで、1人で頑張るしかなかったこと、
誰かのために生きるしかなかったこと。
きっと、母も、祖母も、そうだったんだと思う。
「ずっと誰かのために頑張ってきたんだから、
今度は自分のことを大切にしてね」
苦しくて苦しくて、たまらなかったとき、わたしはこの言葉に考えさせられて、救われたんです。
自分を大切にするってどういうことだろう…
わたしずっと誰かのために頑張ってたんだ…
この言葉の意味を噛み砕いて、やっと解釈できるようになった時、
わたしにはたっくさん!大切な人がいる。
大切にしたい時間がある。
わたしの大切にしたいこと=自分を大切すること
だとやっと、気がつくことができました。
だからこそ今、母にも同じことを伝えたい。
自分のことを、大切にしてほしい。
そう思えるほどに、わたしの心が強くなったのは、これから母を支えていくためだったのかもしれない。
そんなことをふと思い、note書き留めておこうと思って。
これを見た誰かの心も少し軽くなったら…
ずーっと親不孝な娘だったけど、
これからは一人じゃないって思ってもらえるように、母のことを大切にしなきゃと、おばあちゃんが気づかせてくれたから。