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『ムラブリ 文字も暦も持たない狩猟採集民から言語学者が教わったこと』伊藤雄馬・著

出会い

バックパッカーで80ヶ国以上を旅した方と仕事で知り合った。彼は都心から少し離れた街で、夫婦二人が食べる分の野菜と米を手作業で栽培しているらしい。
そうした人生を歩む理由に、『自身の辞書』を作る夢があるからだと話してくれた。辞書に掲載する言葉は全て自身が経験したもので構成するため、旅をするのも自給自足生活をするのもの必然なのだと言う。

その翌日、単身東北某県に移住し4月から無農薬で米作りを始めた方と出会い話を聞いた。
移住前まで、都心の会社に勤務し1日中空き時間をミーティングで埋めることが生きがいだった彼女は、はたと旅に出たまま来た道を戻らなかった。移住後も契約社員として在宅ワークを続けていたが、農閑期、登る太陽とともに一斉に山に入っていく村人達を見て、その場で仕事を辞めたのだとか。


人生3度目の厄年の周期に入る。
自分が知らないモノを知らないままで死なないように、少しずつ関心域の拡張を試みている。

バックパッカーも自給自足も無農薬栽培も、どの話にも「素敵だね」と、言った。
彼らが自分らしく生きているように写り、何処か眩しい。一方で私を私たらしめる価値観が、違和感を訴えていることにも気付く。だから「素敵だね」と明確に声を出した。

人生3度目の厄年の周期に入り早々
違和感を抱く自分が恥ずかしく思えて耐えられなくなり、勝手ながら数日眠れない日々を過ごすことになる。


傷心期間

傷心期間に突入し、『ムラブリ』を読んだ。

文字も暦もない遊動民のムラブリ。

言語研究者の著者は、現地でムラブリを追い(定住しない集団はどこにいるか分からない)、共に過ごし、ムラブリ語の収集を通して、彼らの身体性を獲得していく。
ムラブリ語研究の成果も大変興味深いが、登場するムラブリの人々が個性的で愛らしく、著者視点で読者の「ふつう」が次々裏切られていく。

印象的だったのは、近隣の村へ出稼ぎに行ったムラブリたちが自殺していく事実。
自由と引き換えに、労働から生まれる賃金。私はそれに囚われ、飼いならされながら、毎朝6時に起きて電車に乗り長細い鉄骨構造の箱の中に吸い込まれていく。こうした生活をやめるつもりも気が起きることもなく、今日もまた息を吸って吐いて、端金と波立たない日常欲しさに繰り返している。

ムラブリたちは、彼らの世界と現代社会の構造の間で自身の心(心という曖昧な概念も不要だろう)に従って生きている。社会通念という脅迫、時間や空間の拘束が彼らの心に与えた影響は、自殺と言う結果を生んだ。

彼らの身体性は、道徳の教科書が説く「自分らしさ」と形容するにはピントがずれるように思う。
具体的な言語化は難しい。ただ、「身体性」というキーワードが、今の私に必要なエッセンスであるように思えた。


私の身体性

そういえば、何に心を痛めていたんだろう。彼らに感じた眩しさは、本書を読み切ったあとには、スッとどこかに消えてしまっていた。
気付くと、バックパッカーや自給自足や無農薬栽培、それらを実行する彼らに、急に興味が湧いていた。本書を通して関心域の拡張に成功したと言えるかもしれない。

今の私にとっての「身体性」
好きなときにたこ焼きを焼き、気が向いたら銭湯へ行っておばあちゃんたちとお話、数時間古本屋さんに入り浸り、美味しいパン屋さんのパンを好きなだけ買い、アイスはハーゲンダッツしか食べない。
私は私で赴くくまま、波立たない日常を豊かにすることに、貪欲に、生きていられているようだ。

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