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『見仏記4 親孝行編』を追って
りんご音楽祭 2日目の朝
会場前の駐車場で展開されていた関東方面の古着屋さんのブースにて。ラックにはアメカジ古着、地面にはコンバーススニーカー、面していくつかの木箱にはヴィンテージスカーフと古本が隙間なく並んでいた。
古いファッション誌、音楽誌、歌集、筒井康隆…背表紙を眺め、単行本版(文) いとうせいこう・(絵) みうらんじゅん共著『見仏記 親孝行編』を手に取る。シリーズ4弾目平成14年初版、裏表紙をめくり「¥700」の手書きの値段を確認し、チェックシャツがよくお似合いの店員さんに声をかけた。
『見仏記』を読む
ふたりの仏像鑑賞「見仏」の旅をまとめた本書。あとがき曰く、第4弾は西中心の構成になっているとのことで、分量としては奈良のお寺が多い。
いとうさんが書く、仏像とマイブームの収集に忙しい「みうらじゅん観察記録」がなんとも愛おしく笑いを誘う。みうらさんが描く、仏画に添えられた考察文は、険しい形相の仏像にも親近感を与えてくれる。
それぞれのご両親をつれての親孝行見仏では、1人の息子と見仏人の立場を行き来する各人の心情描写に少しホロリとしてしまう。
読み進めていくうちに、気付けば土曜日朝8時鞍馬駅着の電車を調べ、気持ちを整えながら行程表をしつらえていた。本書曰く、鞍馬寺には毘沙門天と天狗がいるらしい。
京都 鞍馬寺へ行く
当日朝6時 リュックに水筒とタオル、そして『見仏記』を入れ家を出た。
朝ごはんにSIZUYAの売店でカルネを仕入れ、京阪電車から叡山電鉄に乗り換える。叡山電鉄の路線は終点鞍馬まで無人駅で、2両編成の車両は1両目の一番前のドアしか開かない。無人駅をいくつも見送り、緑のトンネルを抜けると鞍馬駅に到着する。数メートルしかない小さなホームに、乗車率ちょうど45%ほどの人がぞろろと降りていく。
朝8時過ぎの鞍馬には同じ車両に乗車していた人しか見えなかった。駅を出てすぐ左に大きな天狗の頭。『見仏記』に倣いその天狗をカメラに収めるつもりでいたが、楽しそうに記念撮影をする紳士淑女グループを1人待つにはむず痒く、感心がないふりをして横目で通り過ぎてしまう。
もちろん駅前の土産屋や茶屋などは空いていない。店舗の正面玄関のガラス戸から、室内に吊られた天狗の面を覗き見ることはできたが、天狗収集には至らなかった。
鞍馬山を登る
本殿までは、途中の多宝堂までケーブルカー利用もしくは徒歩だけで約1キロ、3〜40分ほどの道のり。案内を読みなんとか歩けるだろうと判断し、徒歩を選択する。狛犬が犬ではなく虎である物珍しさに心躍り、愛山料500円を支払い門をくぐった。
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所要時間が書かれている。
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山門をくぐってすぐに私を抜いて行った参拝者は、熊よけの鈴をつけていた。お守り程度に履いてきた登山靴以外無防備な自身の装備に一抹の不安を抱きつつ、登山が始まる。
斜面は木や石を敷いた階段で整備されているが、それがかえって参拝者に不規則な歩幅を許さない修行にも思えた。由岐神社で道中の安全を祈願し、案内図にあるスポットに立ち寄りながら、少しずつ本殿を目指した。
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鞍馬寺 本殿はカバーの中
気息奄々たどり着いた本殿金堂は、補修工事中なのか白いカバーに覆われていた。山の木々に覆われた参道を抜け、登り切った先に現れる堂々とした本殿の姿を楽しみにしていただけに、少し残念な気持ちとなった。
事前に「金星」だ「降臨」だ「宇宙エネルギー」だと鞍馬寺に関する謂れを調べていたが、そう簡単に神秘性を感じられるはずもなく参拝を済ませる。
本殿の横に1メートルほど四方の結界があるが、説明はない。結界の向かいに開門した小さなお堂 光明心殿があった。お堂の中を照らす明かりはなく、鎮座する人型の像と目が合ってるがそれが人型であることしか認識できない。疲労ゆえその場に留まっていられずに、歩みを進めた。
帰路『見仏記』を読み返し、人型の像が天狗だったと知る。ここでまたもや天狗収集を逃す。
霊宝殿は自然史博物館(毘沙門天拝観)
時刻は9時 霊宝殿が開館する。開館と言っても正面扉が空いただけで、作務衣姿の職員の方は慌ただしく、至る所に設置された扇風機や空気清浄機の電源をいれていた。
来訪に気付いて走って戻ってきてくれ、無事入館。拝観料は200円と、京都とは思えない価格設定に感動を覚えつつ、1階の展示室に入室する。
館内に停滞していた空気が、入室と同時に動き出すのを感じた。見えるのは、円柱のガラスケースの中で液体に漬けられた多種多様なキノコ(ホルマリン漬け?)、壁一面の昆虫標本、岩石…鞍馬山で発見されている動植物がところ狭しと展示されている。
目的を忘れ長居しそうになってしまうも、この後の下山スケジュールを思い出し、足早に岩石ゾーンを抜け上階に向かった。
3階の一室が、畳の仏像奉安室になっている。室内に照明はなく、鎮座するいくつかの毘沙門天像がライトアップされる展示スタイルである。
部屋の空気を切るような国宝 木彫毘沙門天像の眼差しに圧倒され、正座で座り込み、見上げる形で様相を観察することにする。平安時代後期には筋肉隆々で眉間に深いシワを刻む守護神毘沙門天も、時代が新しくなり鎌倉時代には柔和で端麗な顔立ちへと変移していく。時代が求めてる信仰の姿が、表情に現れているのだろうか。
仏像よりキノコの数の方が多い霊宝殿を後にし、貴船方面へ山を下る。
山を越え貴船へ
貴船にはヨーロッパ企画の映画『リバー、流れないでよ』ロケ地巡りという目的もあった。
道中、大杉権現社の瞑想道場(開かれた場所に野音の如く木の長板ベンチがいくつも並ぶ)に立ち寄り瞑想を試みる。
目を瞑り周囲に意識を向け呼吸を整える。鳥の声・風の音・肌に触れる空気の感覚に敏感になり始めた頃合いで、顔周りで飛び回る虫が気になり即中断。これは修行である。
時刻は10時半過ぎ 山を超え貴船に到着する。
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橋を渡り、貴船神社方面へ歩くと映画で見た光景が広がる。
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登場人物はふじやを舞台に、短時間のタイムスリップを繰り返す。道を挟んだ別館と何度も行ったり来たりするシーンを思い出しながら、貴船神社へ向かう。
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縁結びの神様にはじめましての挨拶と下山報告を済ませ、おみくじの類などは全て無視し、そそくさと参拝を終える。
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時刻は11時 近くの蕎麦屋はすでに行列になっていた。昼食は諦めそのまま貴船駅へ向かう。標識には徒歩約20分の文字。ここまで3時間以上歩けたことで、自身の体力を過信してしまいシャトルバスに乗らない選択をする。
歩かないと見られない景色があると自身を鼓舞して、なぜあの時シャトルバスに飛び乗らなかったのか、追い抜いていくシャトルバスを何台も見送りながら、重くなっていくふくらはぎで歩みを進めた。
呆れてくれる友がいる
呆れてくれる友がいる。歳を重ね人として成長している気になっていたが、「10年前から同じことしてるで?」と言って友らは笑った。人間関係において、見返りや持続性を相手に求め心も関係も壊してしまうことがある。自分で分かっていながら、ご縁の相談を貴船の神様に持ちかけない傲慢さが、友ら曰く「あなた(私)」なんだそうだ。
『見仏記』では見仏後、貴船へ向かい始めたが、みうらさんの「天狗…天狗…」の念に負け、2人は鞍馬駅へ戻り土産屋や茶屋を物色し帰宅の途につく。いとうさんの呆れ顔を想像して、自然と笑ってしまう。
呆れて笑って受け入れてくれる友の存在に、少し甘えたくなる、そんな一冊に導かれた旅だったように今は思う。