ペルソナを外して
嫌われる勇気 コラム:目的論深堀②
嫌われる勇気の共著者の一人岸見一郎先生が最近お出しになられた本、「人生は苦である、でも死んではいけない 死んでしまうよりも生きたほうがいい」から、目的論について深い考察があったので紹介します。
英語のPerson(人間)の由来は、ラテン語のPersona(ペルソナ)なのだそうです。人間を表す言葉の元が仮面、とは何とも皮肉な話です。
我々は、生きる上で様々な”役割”を担います。親、子、上司、部下、先生、生徒、カウンセラー、クライエントなどなど。社会的な生き物であり、文字通り人と人の間に生きる人間は、社会の中で役割を担う、仮面を被るというわけです。
しかし、岸見先生は言います。役割という仮面、その仮面を外して向き合う、それが仲間である、と。
本の中で岸見先生は、ご自身のお父様との関係を例に出されます。
長年あまり仲が良くなかった父子関係。しかし、ある時、お父様の方から「お前のやっているカウンセリングを受けたい」という申し出があったそうです。それを機に、父子関係が改善したといいます。先生が考察するに、それは、父と子がそれぞれ、”父”と”子”という仮面を取って、ありのままの自分としてお互いに向き合ったのだと。
そして、こうまとめます。
期待したことが実現しないことがあったとしても、決して失われることがない希望が本当の希望である。~生きることの内に目的が”在る”。”在る”は、生きることがそのまま目的である。(オーディオブックで聞いてものを起こしているので漢字が間違っていたらすみません)
過去や未来は関係ない、今ここに在ることが生きることであり目的である。
とても大切な教訓だと思います。