叱らずの誓い
幸せになる勇気 No19 確信犯としての問題行動
賞罰の必要性を説く青年に対し、その是非について議論は及びます。
まず、知らない
アドラー心理学では、叱ってはいけないし、褒めてもいけない、と断じます。青年は、「はたしてアドラーは、理想と現実のあいだにどれくらいギャップがあるか知っていたのか?」と問います。つまり、例えば教育現場で、叱らず、褒めずという態度がどれだけ至難であるか訴えるのです。
哲人は、なぜ叱ってはいけないのか、考える際に、ケースごとに分ける必要があると話します。叱らないことについては、以前にも書きました。ご参考まで。
まず、一つは、「それがよくないことだとは知らなかった」ケースです。哲人は自分の例として、虫メガネで蟻を焼いてしまったエピソードを話します。
このエピソードに対し、哲人は、「ただ”知らない”のです。命の価値を、そして他者の痛みを」と述べ、そこで大人たちがやるべきことはひとつ、
「知らないのであれば、教える」
そして、そこでのポイントは、「叱責の言葉はいらない。この原則を忘れないでください。その人は悪事を働いているのではなく、ただ知らなかった」と付け加えます。
確かに、子どもと接していて、知らないが故の危険な行動を目撃することは少なくありません。いや、むしろ、ほとんどがそういった行動かもしれません。しかし…
確信犯としての問題行動について
青年は黙っていません。「到底呑めた話じゃない。まるで喉の奥にへばりつく、麦芽シロップだ。人間への理解が甘すぎます」とバッサリ。麦芽シロップ…、水あめみたいなイメージかな?
青年は、「中学生にもなれば、みんな”わかって”やっています。なにが禁止されていて、なにが不道徳とされているのか、とうの昔に知っている。彼らはいわば確信犯として問題行動を起こしているのです」と主張します。
哲人は、…、認めます。「むしろ問題行動の大半はそうでしょう」と。そして、続けます。「でも、不思議に思ったことはありませんか?彼らはそれが”よくないこと”だと知っているだけではなく、それをすれば親や教師から叱られるとわかった上で、問題行動に出している。あまりに非合理的な話でしょう」
そう、そんな簡単ではない。「もっと深いところに、別の心理が働いている」、そして、「現代アドラー心理学では、人間の問題行動について、その背景に働く心理を5つの段階に分けて考えます」と言います。
では、また。
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