人生のタスク その3 愛のタスク
嫌われる勇気 No16 愛のタスク
おはようございます。わたしたちが、社会的な存在として生きていこうとするとき、直面せざるとえない対人関係。その人生のタスクでもっとも難しいタスク、愛のタスク、についてみていきましょう!!
「愛のタスクもっともむずかしい」と哲人は言います。
恋愛関係
恋人になった途端に変わる相手への感情。その最たるものが嫉妬でしょう。その嫉妬について哲人は身も蓋もないことを言います。「アドラーは、相手を束縛することを認めません。~相手が幸せそうにしていたら、その姿を素直に祝福することができる。それが愛なのです」と。当然、青年は噛みつきます。ガシガシ!!「いやいや、それは不貞を肯定しかねない議論ですよ!」そうそう、もし相手が浮気をしていたらどおすんの?それでも相手を祝福しろと…。
哲人は、浮気を肯定しているわけではないと前置きをしつつ、「”この人と一緒にいると、とても自由に振る舞える”と思えたとき、愛を実感することができます。劣等感を抱くでもなく、優越性を誇張する必要にも駆られず、平穏な、きわめて自然な状態でいられる。ほんとうの愛とはそういうことです」と言葉を置いていきます。
「ううむ」青年は、言い返しません。ただただ、噛みしめている。わたしも、「ううむ」噛みしめている。この2文は、いつ読んでも、無邪気な子どもを連想させます。平穏な、きわめて自然な状態でいられる…。抜き身の自分でいられる。そうですよね。仕事や交友の中で抜き身ではなかなか居られない…。
そして、恋愛関係において、哲人は、「別れる」という選択肢を提示しつつ、関係の強さのメタファーとして、「恋愛が赤い糸で結ばれた関係とするならば、親子は頑強な鎖でつながれた関係です。しかも自分の手には、小さなハサミしかない。親子関係の難しさはそこにあります」と言います。
家族との関係
頑強な鎖でつながれた強い繋がりの関係、親子関係。もちろん血族という意味での広く家族も入るでしょう。それを切りたいと思っても、手には小さなハサミしかない。では、どうすれば良いのか…
哲人は言います。「逃げてはならない、ということです。どれほど困難に思える関係であっても、向き合うことを回避し、先延ばししてはいけません。たとえ最終的にハサミで立ち切ることになったとしても、まずは向き合う。いちばんいけないのは、”このまま”の状態で立ち止まること」と。向き合う、と、立ち止まる、一見同じようですが、明確に違います。
私の考察ですが、関わり方が変わります。立ち止まるとは、恐らく、思考停止の状態でしょう。どうすることもできず、不満だけを言いながら、その場に止まる。もちろん、それには目的があるのだけれど…。
一方で、向き合うとは、行動すること、動くこと、考えること。消えたチーズがいつか現れるのを待つのではなく、自分から探しに行くこと。
そう、そこでは、