嫌われる勇気 No27 より大きな共同体
こんにちは、日本の梅雨らしい天気となりました。
千と千尋や天気の子よろしく、このまま世の中が水浸しになったりして…
今まで陸だと思っていた所が、実は、孤島だった。海と孤島だと思っていた所が、実は、箱庭の中の世界だった。そんな気がしてきます…
共同体の範囲
”共同体”なるものが宇宙全体に広がり、過去や未来、生物から微生物まで含む…、この意味を問うた青年に対し、哲人は言います「さしあたって、ここでは、共同体の範囲が無限大なのだと考えればいいでしょう」…。
無限大は、わからない…。ちょっとやり過ぎ…。やはりそう考えた青年は、的を得た指摘をします。「たとえば”会社”という共同体と、”地球”という共同体とを引き比べたとき、”わたしはこの会社の一員だ”という所属感の方が強い。~われわれが所属感を求めようとしたとき、より小さな共同体に目を向けていくのは当然のことでしょう」
もっともです。どうしても、近視眼的に、今所属する共同体に目を向けた方が考えやすい。青年、ナイス!!哲人も、「鋭い指摘です」と評します。
しかし、哲人の例は秀逸です。
”学校”という共同体を想定します。そこで何らかのトラブルに見舞われた。いじめなどはその典型でしょう。すると、その共同体に対して「ここにいても良いんだ」という所属感を持てない可能性が出てくる。大いにあり得ます。
この時、学校こそがすべてであると思っていると、どこにも所属感を持てなくなる。そして、より小さな共同体、例えば、”家庭”に逃げ込み、引きこもる。そこでどうにか所属感と得ようとする。そちらの方が手軽です。なぜなら、容易に自分の承認欲求が満たされる可能性があるから。家庭であれば不憫に思った家族が世話を焼いてくれるかもしれない。下級生のリーダー的存在になれば…。でも、それは、コップの中の、冷水の中の、氷の中の、気泡に閉じこもるようなもの。外にでれば、また、氷や冷水に曝されます。
より大きな共同体の声を聴け
では、どうしたら。そう、コップから出ちゃいなよ!!ってこと。
哲人「ここで注目してほしいのは”もっと別の共同体があること”、特に”もっと大きな共同体があること”なのです」、「学校の外には、もっと大きな世界が広がっています。そして、われわれは誰しも、その世界の一員です。~ひとたび世界の大きさを知ってしまえば、自分が学校に感じていた苦しみが、”コップのなかの嵐”であったことがわかるでしょう。コップの外に出てしまえば、吹き荒れていた嵐もそよ風に変わります」
慎重な青年は、「外に飛び出すのはむずかしいですよ」と消極的。そこで、哲人は、「ええ、たしかに簡単ではないでしょう」と前置きしつつ、「そこで覚えておいてほしい行動原則があります。」
原則、そう、原則なのです。従うか否かは、あなた次第。それは…
より大きな共同体の声を聴け
哲人「学校という共同体のコモンセンス(共通感覚)で物事を判断せず、より大きな共同体のコモンセンスに従うのです」
哲人「目の前の小さな共同体に固執することはありません。もっとほかの”わたしとあなた”、もっとほかの”みんな”、もっと大きな共同体は、かならず存在します」
だからか!!だから、共同体の範囲が無限大なのですねアドラー、岸見先生。この理解は、優しい、実に優しい。厳しさの外にある大いなる優しさ。
やっぱ好きだわ、嫌われる勇気。