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「〇〇」であれ

嫌われる勇気 No42 〇〇であることの勇気

「最近どう?」と訊かれて、「まぁまぁです」とか、「ぼちぼちです」と応えて、「ふぅん…」みたいな。「つまんないのぉ」みたいなリアクションをされたこと、ありますか?わたしは結構あります。

もっというと、なんか〇〇だなぁと自分のことを思っていたこともある。

「特別であろうとする」こと、つまり、「安直な優越性の追求」を、例えば子どもの注目を引く行動で例示された青年は、一握りの本当に特別であるひと以外の「敗れた者はみな”特別に悪くある”しかない」と悲観します。

それに対して哲人は、

〇〇であることの勇気

を説きます。それは、「わざわざ自らの優越性を誇示する必要などない」ということ。自己受容は、この勇気を持つ重要な一歩であり、もしこの勇気が持てたなら、世界の見え方が一変するはず、と哲人は言います。

それに対して青年は、「冗談じゃない。そんな人生、いますぐ打ち捨ててやる!」と穏やかでない。「それは、怠惰な自分を肯定することにつながる」

さて、こうまでして、青年をイラつかせる〇〇とはなんなのでしょうか。

ちょっと、考えてみて下さい。


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