
元カレ (掌編小説 1 )
さっきから鼓動が騒がしい。
心臓が胸の奥で飛び跳ねているみたいだ。
まもなく展開されるであろう光景を、久美は頭の中に思い描く。
もう、会うこともないだろうと思っていた元カレ、直樹がもうすぐここに現われる。
ここ、駅ビルの中にあるカフェは、半分以上座席が埋まっている。以前、直樹と何度か訪れたことがある場所だ。
久美は入り口に視線を向けた。今にも直樹が現われそうで、胸が高鳴る。
先週、夕食後にソファーでウトウトしていた久美は、電話の着信音で目覚めた。
表示された名前を見た瞬間、ハッとした。
懐かしい直樹の名に、一時釘付けとなる。
(それにしても、今さら電話なんて、なぜ?)
2歳年下の直樹とは、友人の紹介で知り合った。
会う度に彼に惹かれ、やがて結婚を意識するようになった。
直樹との付き合いは順調だったが、口喧嘩がきっかけで次第に疎遠になっていった。久美は意地を張り、しばらく自分から連絡するのを辞めた。直樹からも、何の音沙汰もなかった。
数ヶ月後、さすがに気になり、試しにメールを送ってみたが反応はなかった。電話しても、いつも留守電。直樹のアパートで待ち伏せしようかと思ったが、拒否されてるなら迷惑だろうと思って、気が進まなかった。
そうして音信不通のまま、1年が過ぎた。直樹を好きな気持ちはまだ残っていたが、久美は他の男性と付き合い始めていた。読書サークルで知り合った渉に告白されて、久美も好意を持っていたので承諾したのだ。
久美は動揺しながら、直樹からの電話に応答した。
「久美、久しぶりだね。元気だった?」
屈託のない直樹の声音。
(ずっと音信不通にしてたくせに、なぜ直樹はこんなに明るい声で話せるんだろう?)
幾分、不信感を感じた。が、直樹の声を聞けて正直嬉しくもあった。
「元気よ、って言いたいところだけど、そんなに元気とは言えないかも」
直樹の真意を計りかねていると、
「そっか、久しぶりに久美に会いたいと思って電話したんだ」
「えっ?」
思いがけぬ展開に久美は動揺した。
「急に、どうしたの? だったら、なぜ今まで電話に出てくれなかったの?」
「それは、会った時に説明するよ」
直樹は言葉を濁し、会いたい日時と場所を言うと、
電話を終えた。
はっきり言って、直樹にはまだ未練があった。
突然の電話で、胸の奥に閉じ込めていた直樹への想いが高まった。
そして今、久美は待ち合わせ場所で直樹が現われるのを、今か今かと待ち構えていた。
つづく