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トーハクは常設展も面白い

 東京国立博物館(トーハク)で『近世の大和絵 王朝美の伝統と継承』を観てきました。
 この特集は特別展ではなく、入場料が千円の常設展です。
 現在、トーハクでは特別展『京都・南山城の仏像』『横尾忠則 寒山百得』を開催中です。特別展の入場料で常設展も見学できますが、非常に広い博物館なので、特別展と常設展をどちらも観るのは無理だと考えました。→結果、展示が多すぎて、常設展でさえも全部は回りきれませんでした。

 今やっている常設展の特集は以下の通りです。
『仏画のためのやまと絵山水』

『東京国立博物館の寒山拾得図 伝説の風狂僧への憧れ』
 特別展との連動特集です。森鷗外と芥川龍之介の『寒山拾得』を読んで、二人の話に興味を持ったので、この特集はゆっくり鑑賞しました。

『創立80周年 常葉山文庫の名宝』

『日本初のチベット探検 僧河口慧海の見た世界』
 河口慧海は、鎖国中のチベットに潜入した僧です。『チベット旅行記』が有名。中国人に化けてチベットに潜入したのですが、よくまあバレなかったものですね。カタコトの中国語しか話せない中国人なんて、怪しまれなかったのでしょうか。特集では、慧海がチベットから持ち帰った仏像が展示されていました。

 特集以外にも、仏像・陶磁器・着物・絵画・刀剣・根付等々トーハクの所蔵品がずらりと並んでいました。これらは周期的に展示替えされます。
 欧米の旅行者も大勢いらしていました。私たちがロンドンで大英博物館に行くような感覚なのかな。
 日本の美術品がオールジャンル展示されているので、どなたでも、何かしら興味の持てるものを見つけられそうです。

 個人的には、根付が興味深かったです。時代小説に根付を作る根付師が登場したり、尾崎紅葉の父親が有名な根付師だったりと、文字ではよく見ていたのですが、どんなものなのか想像がつかず。
 ウィキによると、「根付とは、日本の江戸時代に使われた留め具。煙草入れ、印籠、巾着や小型の革製品、矢立などを紐帯から吊るし持ち歩くときに用いた」とあります。今のキーホルダーみたいなもの?
 混んでいていい写真が撮れなかったので、ウィキの写真を借ります。

根付と印籠

 上の紐に付いているものが鷲の根付。下は印籠。もとは薬入れでしたが、後に装飾品になりました。帯にぶら下げるみたいです。
 根付は、日本では洋服を着るようになって廃れたのですが、海外では、美術品として大人気だったんですね。私が初めて根付という単語を知ったのも、アメリカのミステリ小説によってでした。ロシアにあるエルミタージュ美術館の裏に、日本の根付がまとまって保管されていると書いてあったのです。他にも、アメリカやイギリスの美術館にも有名な根付コレクションが複数あるので、残念ながら、多くの根付が海外に流出してしまったようです。

 トーハクにあった根付は、知らなければ小型の(手のひらに乗るサイズの)置物だと思ってしまうぐらいの大きさ。動植物や神様などが木や象牙に彫られていました。上の鷲の根付を見てもわかるように、非常に精巧な出来で、優雅なもの、可愛らしいもの、ちょっと不気味なもの等、足を止めて見入りました。多分、いつでも何かしらの根付が展示されていると思うので、トーハクに行かれた際にはぜひ、チェックしてみて下さい。

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 今回の訪問の主目的だった『近世の大和絵 王朝美の伝統と継承』ですが、この特集に酒井抱一の絵が二つ出展されていると知って、トーハクを訪問しました。
 酒井抱一は、先日『出光美術館 時を越える男たちの絆』という記事にも書きましたが、百年前の絵師、尾形光琳に憧れて、江戸琳派の祖となった方です。

 先ほど、武士の装飾品だった根付が海外に流出したと書きましたが、明治になって武士の時代が終わり、貧しくなった元武士たちが、根付を売って生活の足しにしたと想像できます。
 上級武家や大名にも財政難に陥る家は少なくなく、絵画等の家宝が売られることになりました。買い手は、初期には外国人だったようですが、後には新たに財を成した商人等の富裕層も没落士族の家宝をコレクションしました。
 夫の先祖である画家の蠣崎波響にしても、漢詩や書簡(手紙)はちゃんと残っていて、函館市に寄贈されたのですが、絵画は散逸して、フランスの美術館が所蔵しているものもあります。
 
 酒井抱一は、姫路藩十五万石の藩主の弟なのですが、やはり没落したのか、アメリカのメトやボストン美術館に絵があるんですよね。特に、メトロポリタン美術館の絵はネットで見ても非常に素晴らしく、日本にあれば重要文化財に指定されそうな名画なので、とても残念です。

武蔵野図扇面

 今回、出展された絵、一つは上の『武蔵野図扇面』です。これはトーハクの所蔵品なので、最終的に国が購入したようです。武蔵野は人気の画題だったのか、他にも武蔵野を描いた絵がありました。この扇であおいでいたのか、またはもともと美術品だったのでしょうか。
 
 トーハクにある抱一の絵で有名なのは、重文に指定されている『夏秋草図屏風』です(今回は展示なし)。

『夏秋草図屏風』

 これは、御三卿である一橋家の依頼で、尾形光琳の『風神雷神図屏風』の裏に抱一が描いた絵です。一橋家も没落して、家宝を手放したわけです。

 今回展示されていたのは、同じく重文の『月に秋草図屏風』。これはペンタックス社の手に渡り、トーハクに寄託されています。

『月に秋草図屏風』

 ネットの絵だと、良さが激減してしまいますね(撮影も不可でした)。実物はとても素晴らしかったです。素人の私でも、先日見た出光美術館の『風神雷神図』よりも抱一が格段に腕を上げたのがわかりました。

 この絵は、夏目漱石の『門』に登場する絵のモデルになったようです。主人公の父親が収集した絵で、お金に困った主人公は近所の道具屋に父の形見を売ることになります。

納戸から取り出して貰って、明るい所で眺めると、たしかに見覚のある二枚折であった。下に萩、桔梗、芒、葛、女郎花を隙間なく描いた上に、真丸な月を銀で出して、その横の空いた所へ、野路や空月の中なる女郎花、其一と題してある。宗助は膝を突いて銀の色の黒く焦げた辺から、葛の葉の風に裏を返している色の乾いた様から、大福ほどな大きな丸い朱の輪廓の中に、抱一と行書で書いた落款をつくづくと見て、父の生きている当時を憶い起さずにはいられなかった。

夏目漱石『門』

 漱石の小説では、『虞美人草』にも抱一の絵が登場します。 

逆に立てたのは二枚折の銀屛である。一面に冴え返る月の色の方六尺のなかに、会釈もなく緑青を使って、柔婉なる茎を乱るるばかりに描いた。不規則にぎざぎざを畳む鋸葉を描いた。緑青の尽きる茎の頭には、薄い弁を掌ほどの大さに描いた。茎を弾けば、ひらひらと落つるばかりに軽く描いた。吉野紙を縮まして幾重の襞を、絞りに畳み込んだように描いた。色は赤に描いた。紫に描いた。すべてが銀の中から生える。銀の中に咲く。落つるも銀の中と思わせるほどに描いた。――花は虞美人草である。落款は抱一である。

夏目漱石『虞美人草』

 こちらは、タイトルである虞美人草を描いた絵です。
 どちらも重要な場面に登場しているので、夏目漱石は酒井抱一を好きだったのかなと、思わぬつながりに瞠目しました。

 大和絵展は、十月半ばに展示替えがあり、別の抱一の絵が展示されるようなので、また訪問しようか、いっそ年間パスポートを買おうかと思案しているところです。

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海人
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