2024年11月読書記録
11月の読了本は、3冊だけ。文フリの準備が忙しかったので。小説書くのと読書は並行してできるのですが、お品書きや名刺といったごく単純なものでも、デザインを考えなければならないと、無限に時間がかかってしまう…。デザインというか、ただ文字を適当に並べてるだけなんですけど、それでも大変です。中学生の時に映画『あゝ野麦峠』を観て、「明治時代に生まれていたら、手先が不器用すぎて、諏訪湖で入水自殺するしかなかっただろうな」と思ったものです。それに比べれば、読書時間を削られるぐらいはまだマシだと思わなければ…。
福永武彦『死の島』(新潮文庫)
重い話です。広島の原爆が話のキモの一つになっているんですね。その部分は、身構えてしまって、うまく読めませんでした。戦争を文学に落とし込むのは難しい。大岡昇平の『野火』『レイテ戦記』、村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』などは、戦争のむごさを書きながら、文学としても読めてしまう。すごい力量なのだということが逆に、よくわかりました。
この小説がそれほど有名ではないのは、別にそのせいではないと思いますが。むしろ、70年代にしては斬新すぎたので、あまり評判にならなかったのかも。複数の登場人物の短いエピソードが時間軸をバラバラにして語られるのですが、その中に登場人物の1人が書いた小説が混じったり、現実とフィクションの関係性が語られたりで、メタフィクション性がとても強いです。現実を書いた部分までが妙に人工的な雰囲気で、作中小説として書かれた部分との差があまりないといった欠点もあるものの、この作品の延長線上に村上春樹の小説が生まれたのだと思うし(村上さんに直接の影響を与えたかはわからないですが)、再評価されて欲しい。
イーユン・リー『さすらう者たち』(篠森ゆりこ訳・河出文庫)
作者は中国生まれ、大学進学以降はアメリカで暮らす中国系アメリカ人だそうです。この本も英語で書かれていて、そのせいか、中国が舞台なのに、現代アメリカの小説を読んでいるように感じる部分も多いです。そんな中に、時折、とても東洋的な描写や世界観が混じる。
100%東洋的だと、アメリカナイズされてしまっている私には受け入れにくい作品になったかもしれませんが、イーユン・リーのこの作品は、西洋的なわかりやすさの中に、理屈では語れない東洋的世界が入り込むので、とても読みやすかったです。
小説の舞台は、文化大革命が終わりつつあるある頃の中国です。文化大革命については、ぼんやりとした知識しかなかったのですが、何とも恐ろしい…。でも、それが過去の話では終わらず、今の日本と重なりました。紅衛兵として活動した若者のエピソードを読んで、自分なども地味に生きてきただけなのに、彼らより年上というだけで既得権者と見なされ、迫害される日がくるのではないかと少し怖くなりました。
といっても、歴史的な事実はあくまでも背景に過ぎず、居場所のない者や生きづらさを感じる者達の群像劇として、普遍的な読み方ができる小説でした。人を縛る権力やしがらみと対峙しながらも、自分らしく生きようとする人達の姿が印象的です。
深沢七郎『笛吹川』
深沢七郎の小説は若い頃に『楢山節考』を読みました。とても日本的な小説に思えて、当時欧米文学が好きだった私は興味を持てませんでした。
『笛吹川』も、日本的な話です。日本的というか、イーユン・リーの小説にも通じる、理性や自我とは無縁の人々が登場します。リーの小説は、一方で教育を受けて目覚めた人たちの苦悩を描いているのですが、『笛吹川』には、そういう人はいない。作者本人も、現代に生きる私たちとは別の世界に生きていたんじゃないかと思うほど、そうした世界への没入感が強いです。
若い頃は興味を持てなかった世界ですが、今回は、面白くて一気読みしました。戦国時代の武田領内の話なので、そのあたりの歴史を知っているとより楽しく読めますが、作者は歴史小説を書いたわけではなさそうです。感情に任せて、今この時を生きる人々。自分が何者かなどと考えたことはなく、そもそも何かを深く考えることもない。場に呑まれて望んでもいなかったことをしでかし、だからといって、それを悔やむこともなく、あっさりと死んでいく人たち。人はこんな風に生きてきたのだし、この先もこんな風に生きていくのだ。そんな静かな諦念を感じさせる小説でした。