村上春樹の短編を読む 海外文学と音楽 その5 『神の子どもたちはみな踊る』 【読書感想文】
村上春樹さんの短編小説を作中に登場する海外文学や音楽から読み解くシリーズの五回目です。『レキシントンの幽霊』には海外文学が出てこないので、今回は『神の子どもたちはみな踊る』収録の作品について。
「アイロンのある風景」
これも、好きな短編です。主人公の順子が抱え込んでいるものが心に響きます。順子たちが焚き火をする浜辺も、以前仕事で数ヶ月間茨城沿岸部に出没していたので、「あの浜辺かな〜。ヤンキーぽいサーファーもいたし」などと想像してしまいます。特に寂しい風景ではなかったはず(むしろ、反対。茨城県が好きになった)なのに、この小説の影響で、今では寂しげな風景が目の前に浮かぶようになりました。順子の孤独。実家から逃げるように飛び出してきた過去。私自身も、理由は順子とは全く違うものの、ほぼ騙し討ちのような形で実家を離れたので、「私ってからっぽなんだよ」と話す順子の気持ちがわかるようで…といっても、私が抱えていた孤独や空虚感は、実家を離れて環境を変えたら、嘘のように消えてしまったので、本当の意味で順子の気持ちがわかるわけではないのですが。
ジャック・ロンドン『たき火』
順子が好きな小説。物語の根幹にかかわる小説みたいなので、英語で読んでみようと思い付き、プロジェクト・グーテンベルク(海外版青空文庫)でダウンロードしたものの、放置したまま。柴田元幸さんの訳があるので、買おうかな…。
ジャック・ロンドンは、二十世紀初頭に活躍したアメリカの作家です。『野生の呼び声』『白い牙』と自然主義風の小説しか読んだことがなかったので、ソローのようなアウトドア&リバタリアン系作家だと思っていたのですが、「アイロンのある風景」では、登場人物によってロンドンの全く別の側面が語られます。
「かえるくん、東京を救う」
村上さんの短編に登場する動物(しゃべる動物)では品川猿が一番のお気に入りですが、かえるくんもいい味出していますよね。『すずめの戸締まり』はこの短編の影響を受けていると監督のインタビューに出ていました。それとは全く違う意味で、『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』にも、この短編を思い出す展開があります。
「最高の善なる悟性とは、恐怖を持たぬこと」
かえるくんが引用するニーチェの言葉。ニーチェって、こんなことも言っているんだ。悪について語る人というイメージが強いですが。ニーチェは19世紀後半に活躍した哲学者。哲学書が苦手な私でも、ニーチェの本は理解しやすいです。
「真の恐怖とは人間が自らの想像力に対して抱く恐怖のこと」
かえるくんが引用するジョゼフ・コンラッドの言葉。コンラッド は海洋小説で有名な英国の作家です。『闇の奥』と『密偵』を読んだけど、面白くなかった…。Wikipediaによると、非常に評価が高く、20世紀の作家(フィッツジェラルドやフォークナー、ヘミングウェイなど)にも影響を与えているようなので、また読み直してみたいです。『闇の奥』を翻案したのがコッポラ監督の『地獄の黙示録』(舞台がアフリカ→ベトナムに変更されている)。
この言葉、シャーロック・ホームズも言っていた気がします。
「ぼくらの人生は勝ち方によってではなく、その破れ去り方によって最終的な価値を定められるのです」
かえるくんが引用するアーネスト・ヘミングウェイの言葉。ヘミングウェイは、20世紀の米作家。個人的には、ハードボイルド系の短編小説が好きです。長編は…歴史ロマンス小説?
この言葉、本当にヘミングウェイが言ったのかなぁ。かえるくんが自分の言葉をヘミングウェイに託しているのかも。他の二つの言葉も。
関係ないですが、勝ち負けで好きな言葉は「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」by孫子・松浦静山・野村克也 です。
トルストイ『アンナ・カレーニナ』
かえるくんが、ある場面を比喩のように使う小説。彼の愛読書なのだろうと語り手は推測します。この小説は、「眠り」に続いて、二度目の登場です。
ドストエフスキー『白夜』
かえるくんが言及する作品。「フョードル・ドストエフスキーは神に見捨てられた人々をこのうえなく優しく描き出しました。神を作り出した人間が、その神に見捨てられるという凄絶なパラドックスの中に、彼は人間存在の尊さを見いだしたのです。」というかえるくんの言葉には、なるほどなぁーと強くうなずきました。個人的に、ドストエフスキーの小説をもとに、ダイレクトに神学論を語るのはあまり意味がないと思っています。神学論を語りたいなら、宗教書や哲学書を読めば? と思うので(ロシア正教が究極的には、ロシアという国を肯定する宗教であることも忘れてはいけない)。
でも、神と人の関係なら、小説で描くことができる。というか、小説が得意とすることでしょう。それをかえるくん=村上さんに教えてもらえた気がします。
『白夜』は短編で、ドストの中ではとても読みやすい作品です。
「糖蜜パイ」
ジョン・アプダイク
主人公の作家が彼の小説を翻訳する設定。村上さんが訳されたカーヴァーとほぼ同世代の米作家です。私の子ども時代には新潮文庫にいくつか入っていたと思いますが、今は全て絶版になっているようです。
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『神の子どもたちはみな踊る』に登場する曲のプレイリストを作ってみました。
『サーファーガール』は「タイランド」の主人公がカラオケで歌う曲。
『I can't get started』は「タイランド」でカーステレオから流れる曲(小説内の演奏がなかったので、チャーリー・パーカー版)。他の小説にも出てくるので、きっと村上さんのお気に入りの曲ですよね。
『四月の思い出』もカーステレオから流れる曲。父親がジャズ好きだったので、主人公は古いジャズに詳しい。
シューベルトの『鱒』は、「糖蜜パイ」で小夜子が口ずさむ歌。作中で語られる物語の主人公、クマのまさきちがシューベルト好きという設定。クマにしては渋い趣味ですね。我が家でも、ぬいぐるみのビーバーの好きな映画が『楢山節考』という設定だったので、子どもに語る話に高度な固有名詞を入れたくなる心理はよくわかります(言葉の響きで選んだだけで、映画も本も未見なのですが)。
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